《有難い 同じを見つけ つながりに》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓


 ダイバーシティ(Diversity)という言葉を聞くことがあります。意味は直訳すると多様性だそうです。集団において年齢、性別、人種、宗教、趣味嗜好などさまざまな属性の人が集まった状態のことです。もともとは人権問題や雇用機会の均等などを説明する際に使われていました。対義語は画一性,単一性,均質性となっています。
 社会において,多数派が何らかの差異を抱える少数派を排除することがなく,共に生きていこうとする気運が高まっています。この多様性を意識する際に,自分をどこに位置づけているかが大事なポイントになります。単純に違いを認めようという流れの中で,自分は違いを抱える者であると思うか,違いを抱える者は他者で,自分は違いを受け入れようとしているか,という相対する位置づけです。その確認の上で,両方を納得しなければなりません。
 みんなちがってみんないい。私も皆も違っている者同士,その違いのままに大切にしていこうということが,改めて意識化されようとしています。人は均質性・同質性を求めようとしているのでしょうか? 違いをことさらに取り上げて排除するという傾向があります。善悪という違いが明瞭な場合は,社会の維持のために悪の違いの排除は許されるでしょう。
 人は顔立ちがそれぞれ違っているように同じ人はいません。今ここでお互いを見知っているという点で互いに同じであると言えるでしょう。ある属性で見れば違っている人でも,別の属性では同じである人になります。違いと同じは局面の違いによって併存していると思うべきです。一面だけを見ていては,本来の姿を見落とすことになります。
 男の子3人と女の子2人を足すと何人でしょう。5人ですか? 男の子と女の子は違うので,足してはいけないのです。5人は男の子? 女の子? 誰ですか? 男の子も女の子も子どもとして同じです。同じ子どもを足して,5人の子どもなのです。足し算を和といいます。同じであるところでつながるとき,和が成り立ちます。多様性を認める,それは同じところを見つけて和とするとき,平和が訪れることになります。
 見ず知らずの人は違う人,それでもすれ違うときこんにちはと挨拶を交わすことができれば,同じ人であると確かめることができます。挨拶を返してこない人は違う人と思っているのでしょうが,お互い様ということで,同じと思っていればいいでしょう。何度か繰り返すと,状況は変わっていきます。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2024年03月31日:No.1253)