家庭の窓
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夜回りをしていると,暗い道をスマホを見ながら歩いている人とすれ違います。遠くからぼーっと照らされている顔だけが見えて近づいてきます。よく転けずに歩けているなと,仲間と冗談まじりに話しています。電車でも皆さんスマホを熱心にご覧になっています。何をそんなに見ているのか,いや読まれているのか,人を見ていてスマホを見ない身では不思議に思っています。
この情報中毒とも見える状況では,じっくりと読み取ることはできず,細切れのデータを短絡的に選択しているはずです。なんとなくの注目度に応じた順序でアップされる情報を,格別な意図もなく適当に流し読みしているのではと思われます。提供される情報の波に乗せられていることを自覚できない状況になっているようです。常に新しいものがアップされて止まることがないので,見逃すというプレッシャーを感じさせられています。
暇さえあれば情報の流れに付き合っていると,取りあえずは知ることはできていくので,世間に疎くはならないで済みます。ただ自分で考えることを忘れていきます。つまり情報はバラバラの状態でまとまりがなく,それぞれがつながって自分の世界を構築するようにはなりません。結果として自分なりに納得し首尾一貫した振る舞いをすることができなくなります。
とりあえず気になった見出しのお知らせ情報に目を通します。読み進める中で気になったポイントに関する記述を見つけると,メモしておきます。自分で考える際にある程度の道しるべに使えるかもと思ってのことです。物事を考える営みは我流になりやすく,その偏りを避けるには,他者の気付きを取り入れることも役に立つはずです。三人寄れば文殊の知恵という故事をある程度実践できるかなと期待しています。心がけていることは,受け取った情報のままに放置するのではなく,自分が行う思考の中に入れてみるという処理を必ず実行することです。
ある事象について,このような理解ができるという思考は人それぞれに持つことができます。場合によっては,真偽,善悪,美醜などの尺度に照らすと正反対の価値を帯びる場合も起こりえます。そこまで極端ではなくても,私にとって都合のいい考え方は他者にとっては不都合で迷惑でしかないといったことがあります。そこで,他者の思考を取り込んでステップアップできれば,古くは三方一両得や新しくはウインウインという落としどころを目指すことになります。
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