《有難い 違いを認め 和に至る》

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 経済の世界では最近D&Iを目指しているそうです。Dとはダイバーシティで,性,年齢,人種,民族,障害の有無など多様な人々の存在を認め,それぞれの人の尊厳性を尊重することです。Iはインクルージョンで,多様な人がつながり,お互いに協力して行動することです。社会が国際化している一方で,人権意識の普及が迫られる時代の要請に対応しようとするためです。
 英語の頭文字で表現されているので,外国から持ち込まれた新しい考え方のようです。しかし,基本的な形は既に学んでいたことです。かつて,近隣の国から渡来してきた人の才能を役立てる必要を見抜いた聖徳太子が,「和を以て貴しとなす」と宣言したことと重なっています。違いがある人であっても今共に生きている者として同じであると認め,寄り添う和の意識を価値あることと認めていました。規模は違っても,歴史は繰り返しているのです。
 社会のあるべき様相はモノやコトの行き来の規模に応じて変化をします。規模の拡大が著しく進んで,国際化や情報化の発展という形で,社会は急激に巨大化してきました。その変化の早さと規模の肥大化に人の感覚が遅れがちです。
 人の心理には社会的比較が働くと考える理論があります。人は自らの評価を正確に把握しようという衝動があり,そのために個々人が自身を他者と比較することを通して,不確実性を低減させているとされています。この社会的比較は,上方比較と下方比較の2つのタイプに分けられ,上方比較ではより良い他者との比較が自尊心を高める一方で,下方比較では自己評価を改善することができていくことになります。
 現在の肥大化した社会において,人は比較する他者をどのように選んでいるのでしょう。狭い世間では傍にいるアナタ(You)を選ぶしかなかったのですが,現在の広い世間では選り取り見取りで,気持の落ち着きが得られる一見して似た人ですが実はよくは知らないカレやカノジョ(He,She)を選んでしまうことになっていそうです。生身の生活人としての総合的な他者ではなく,脚色された仮想的なアバターとの比較をしていることになります。結果としての自らの社会的な評価は極めて手前勝手な思い込みに満ちたものに偏ってしまうのみならず,そのことに気付かない過ちも招いています。
 かつては,友達の友達は友達という総合的に知ることができるアナタ(You)の連鎖によって,比較する他者はバトンタッチするようにつながっていました。今もよく知り合える身近な他者がいるはずですが,深入りすることで自分とはあまりに違う他者を見ることを恐れるあまり,遠くにいる他者にのみ視線を向けてしまっています。遠くにいて自分の意に添う他者と比べている方が気楽だからです。
 世間には自分に似たカレやカノジョがたくさんいるのに,どうしてすぐ傍にいるアナタはこんなに違っているのかと責める気持が湧いてきます。昨今のさまざまなハラスメントは,人の違いを見ようとしていない,違いを許せない,違いから逃げている自分を勝手に守ろうとしていることが要因です。このような状況では,和をもって貴しとなすという世間は訪れてこないでしょう。
 親子,夫婦,家族,地域,学校,職場,世間といった私を取り巻く人の間合いの多層化があってこそ,私たちの和の世界が出現してくるはずです。

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(2024年06月23日:No.1265)