《連れ合いと すれ違うから 惚れ直し》

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 こんな話があります。先日(2001年の秋)の獅子座流星群を見ながら,ロマンティックに,「こんなにすごい流星群って,次は33年後らしいよ。33年後って,世の中どんなに変わってるのかな〜」と言ったら,「ちょうど,マンションのローンが終わる頃ね」と,超現実的なセリフで返されてしまった。涙で,流星が曇って見えた。
 このすれ違いは個人差ではなくて,男性と女性の一般的な意識の差のようです。後天的なものか先天的なものかは分かりかねますが,似たようなことは誰もが経験していることでしょう。もちろん,どちらが良い悪いという秤に載せることではありませんし,どちらかにすり寄るべきであるという矯正も無用です。そういう違いがある背景を認めた上で,お互いに絆を縒り合わせていくしか選ぶ道はありません。
 こんなとき,男の方は自分の思いを分かってくれないという愚痴が出ますし,女の方ではしようもないことを考えてという愚痴を漏らします。どんな場合でも共感できることで絆が深まるという思いこみが強すぎます。確かに共感は必要ですが,一切合切の共感は馴れ馴れしさを生みます。なぜなら,相手の思いがあらゆる面で自分の思いと同じであると信じていれば,相手を丸ごと吸い込んでしまって,相手が見えなくなります。
 所々で違う感性を持っていることに出会うから,他者として意識するようになります。愛するということは,本来他者に対して抱く感情です。他者であるためには違いは必須の要件になります。
 長く連れ添った二人は,惚れ直すというプロセスを繰り返しています。惚れ直すとは,違いを発見し,それを愛おしく思うことです。何でも分かり合えていると思っているから,相手のことを真っ直ぐ見なくなり,結果として相手を見逃してしまいます。気持ちのすれ違いは,分かってくれないという言葉で表されますが,それは相手が思っている自分と本当の自分が違っているからです。違いを違いとして分かり合うことは,とても大事です。
 以前に,夫婦の間では「幸せだね」,「幸せですね」という会話が到達点だと述べたことがあります。二人が一つの言葉に包まれる形です。その言葉に味わいがある理由は,違っている二人が共にいることを喜んでいるからです。言葉は同じで,共感的ですが,違っているからこそ,共感が可能なのです。
 ラブには0という意味があります。愛は0によって愛になり得ます。0とは相手に対してマイナスの目を向けないことです。平たく言えば,自分にとって相手が気に入らないマイナス的部分を持ち合わせていても,それを0と見ることです。あばたもえくぼというのは,愚痴の種になるようなことはきれいさっぱり0にして,プラスしか見ないことです。実際には難しいことですが,そうしたいと思って努力する,それが人を愛する唯一の条件でしょう。

(2002年09月08日号:No.128)