《有難い 言葉を使う こつが見え(1)》

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 ご縁があって「共生社会」という言葉に向き合う機会を頂きました。簡単に言えば,依頼を受けた講演のテーマであったのです。その出会いに影響され色眼鏡を掛けるようになったわけではありませんが,関わっている組織の役目の一環として人のつながりをそれとなく意識していることもあって,世情のあれこれの中で人の関係性につながる情報がことさらに目に飛び込もうとしてくる昨今です。
 自分らしさを求める中で思い定めた形に拘るようになると関わりのある現況に対する不平不満が出てきます。でも現実の状況に自分を合わせるようにすれば感謝や足るを知ることができて,その方が賢明のはずです。あれこれ期待しすぎない,考えようによって感じ方は変わってくるという話が目にとまり,メモが残っています。
 経済社会では富の分配が行われますが,それは世間では価値の分配と受け止められることがあります。その分配の様子が有るか無しか,つまり1か0かということになると世間に分断をもたらすことになります。もし分配のあり方が連続的であれば,価値の段階化が起こります。その結果として価値の隔離ではなく多様化がもたらされます。価値に限らず物事を1と0のディジタルに分断するのではなく,多様なアナログの連続するように認識すれば,余裕という温もりが生まれます。
 人があれこれ思ったり考えたりできるのは,言葉があるからです。その言葉について,素人談義をしてみたくなりました。

 人の認識は言葉によって構築されますが,その言葉は感性に基づいて生まれています。肌感覚によって暑い寒い,視覚によって明るい暗い,味感によって甘い辛い,その他日常生活で遭遇する経験から重い軽い,遠い近い,大きい小さいなど,ある状況を前提として,そこから外れている2つの状況,過不足などを示しています。例えば,明るすぎても暗すぎても困るのです。
 人の感性は異常を検出するための機能です。普段とは異なる状況は危険なので回避する行動を起こさなければならないからです。温暖化によって秋が短くなっています。暑い夏は冷房を寒い冬は暖房をと対応しますが,秋は外に出て紅葉を楽しむ過ごしやすい季節です。暑くも寒くもありません。人は暑くも寒くもないところで生きることが自然なのです。普通がちょうど良いのです。生きることに適した普段の状態を表現する必要はないので,言葉も作られませんでした。普段とは違うのでお互いに気をつけようという状況の相互理解のために言葉が使われてきたのです。
 この言葉の気をつけようという機能を単純に適用して,善悪,正邪,有無,優劣,強弱,得失,損得,美醜,貧富など,特定の価値を設定して状況を判断する尺度が登場してきました。その特徴はどれもが,有るべき状況の1か,有ってはならない状況の0かです。この言葉たちは現状を変えていくことを示唆しています。例えば,悪いことはしないで善いことをしようと促す働きが期待されています。つまり望ましい状況に向かって進化しようという相互理解の言葉なのです。

 次号に続く・・・

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(2024年12月01日:No.1288)