《愛してる 分からないから 信じてる》

 勘違いは誰にも経験があります。フリーマーケットを「自由市場」と思いこんでいる人がいます。バリアフリーとかフリーセックスといった言葉から連想されたのでしょう。フリーマーケットのフリーは蚤を意味する言葉なので,「蚤の市」が正しい翻訳です。スイートルームといえば新婚用の「甘い部屋」と思われていますが,本当は「続き部屋」のことです。カタカナ語だけではなく,「うさぎおいしかの山・・」という歌詞を「美味しいウサギ」と思っている子どももいます。
 子どもには親の血が流れていると言われます。そこで,母親の血液がへその緒を通して胎児に流れていると思いこんでいることがあります。しかし,母親と子どもの血液型が違うことは珍しくありませんし,その場合には胎児に拒否反応が起こって大変なことになります。本当は胎盤で親子の血管がお互いにユーターンしていて血はつながってはいません。子どもには親の血は流れていないことになります。
 本当のことを知ると,夢や温もりが薄らいでいきます。子どもにはやはり親の温かな血が流れていてほしいものです。DNAのつながりでは情愛が感じられません。知識というものが冷たいイメージを漂わせるのは,心という曖昧なものを受け入れないためです。知識を人の心で包んだときに知恵になります。人は理屈通りには生きられないようです。
 仕事社会では我慢してクールな理詰めで動きますが,私生活では曖昧に暮らしています。この曖昧さは人にはとても大切です。家庭にはどこか曖昧な場所,片づいていない所があります。隅から隅まできちんとしていればかえって落ち着かないでしょう。同じように,親が子どものあれこれに立ち入って曖昧な衣をはぎ取れば,子どもは追いつめられついには暴走します。和やかさは曖昧なものです。
 楽しい勘違いをすれば,幸せになれます。連れ合いや子どもと信じあえるのも案外楽しい勘違いなのかもしれません。そういう曖昧さを楽しみましょう。
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年07月02日号:No.13) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです