《生命を 命を生かすと 読んでみる》

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 物事を考えるときの道具は言葉です。言葉があるから物事が整理でき順序づけされ,関係を明らかにすることができます。遠い昔のことですが,あの人のそばにいるとなぜか胸がときめく,どうしてなのだろうと考えたとき,それが恋だと知りました。言葉を得てはじめて不思議な気持ちに納まりがつきます。
 情報も言葉があるから表現化され伝達が可能になります。ところで,言葉には名詞と動詞がありますが,物事を考えるときには名詞を多用します。特に漢字は表意文字ですから,意味を見ることができます。カタカナ語には見ても意味不詳というハンディがつきまといますが,漢字で表された名詞は表現として大変便利です。例えば,まだ字を知らない子どもに「危」の字が危ないという意味だと教えておけば,たとえ危険という字を読めなくても意味は伝わります。
 表現としての名詞ですが,これは基本的に目の言葉です。書いてあるのを読むために使われます。しかし,意味を正確に理解するためには見るだけでは十分ではない場合があります。そのときは名詞を動詞にもう一度読み返すことが役に立ちます。例えば,知識と知恵という言葉があります。それを「識を知る」と「恵みを知る」という風に読み返すと,意味がより鮮明になってきます。目的と目標も,「的を目差す」ことと「標を目差す」ことに言い換えれば,どちらが努力すべき方かが分かります。学問とは「問を学ぶ」こと,すなわち答えを見つけるのではなくて,よい問題を探すことなのです。ちなみに学校は「学ぶところ」であって教えるところではありません。
 「活動する」と言っても何のことかよく分かりませんが,「動きを活かす」と読み返せば気持ちに触れてきます。名詞を目の言葉だとすれば,動詞は手足の言葉であり,実践的です。集合と号令するより,集まれと呼びかけた方が動きやすくなります。名詞を多用した文章が堅苦しく読みづらいのは,表現が身体になじまないからです。動詞は生きている言葉だと言えるかもしれません。

(2000年07月09日号:No.14)