《イライラは 人の優しさ ぶちこわし》

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 もうちょっと涼しくなってもいい頃だと思うっていますが,差し込む日差しの縁側からの跳ね返りがムッとした熱気になってまとわりついてきます。パソコンの熱意(?)も重なっているのでしょう。暑いとイライラしてくるもののようです。ただいまクマさんは少しばかりご機嫌がよろしくありません。
 こんな時は冷やさないと暴走するので危ないのですが,解消法の一つとして八つ当たりというやり方があります。イライラをどこかにぶつけてしまえば,案外納まることがあります。迷惑なのは,ぶつけられるどこかです。だいたい傍にいるものが巻き添えになるようになっています。ただいま孤独ですから,傍には誰もいません。仕方ないので,どこかにいるはずのあなた,いまこのコラムを読んで頂いているあなたにぶつけることにします。
 暑くてイライラしている人の傍には寄りたくありませんね。そんなに腰を引かないでください。違いますね。目を逸らさないでください。キーボードを叩くのが遅いので,ちょっぴり冷め加減になってきました。少しばかり薪を加えましょう。イライラの再燃です。
 考えれば腹が立ってくることってありますね。社会的活動やボランティアなどの世界では,公私の別が曖昧になっています。一つ気になっていることは,補助金に対する考え方です。いろんな活動が予算の削減傾向に直面しています。補助を削られたら今までのような活動ができなくなるという危機感を,多くの方が口にされます。その追い詰められた気持ちはよく分かります。
 「しかし・・・」,という苛立ちは普段は陰の声として抑え込まれています。イライラしてくると,この抑え込んでいるものが吹き出します。抑え込んできたということは,相手にとっては心地よいものではないという配慮からです。せっかくがんばっているのに,水を差すのは悪いという気配りです。でも,その心配りが仇になる事態が近付いているのも事実です。そんな甘い気持ちは拭い去らなければなりません。
 補助を受けている活動全般について,補助金のあり方を考え直す必要があります。予算の構造改革です。補助というのはあくまでも補助に過ぎないということです。自分たちで工面した予算があって,そこに多少の不足があるというときに,補助でまかなうというのが本筋です。子どもがお小遣いを貯めて足りないところを親が補助してやります。全部親がかりでは,甘えですよね。
 普段の活動費は自分たちで何とかする,でも特別なことのためには臨時的に助けてもらえたら,それが真っ当な住民活動でしょう。受益者負担をきっちりと果たした上で,補い助けを受けるという姿勢を取れば,補助金削減にめげる必要はなく前向きに対処できるはずです。
 ところで話はそう簡単ではありません。行政側による住民活動の利用もあります。手が足りないので,お礼を補助金という名目にすり替えて,手伝って貰おうという魂胆です。こういうケースでは,削減する側の受益に関わりますので,ペースダウンするのは自明のことです。ただ気をつけないと,自分たちがしているという自立的充実感はゆっくりと萎んでいくでしょう。
 ボランティア仕事をしている連れ合いを迎えに行く時間です。日も陰ってきて,暑さも薄れてきました。冷静に運転できそうです。お帰りなさい!

(2002年09月22日号:No.130)