《連れ合いと ことばの愛撫 世話話》

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 馬耳東風。馬の耳に念仏。聞く気のないものにいくら話しかけても,言葉は虚しく素通りしていきます。一を聞いて十を知る。一つの小さな言葉が耳に留まることで大きなイメージをピタッと完成させられるときがあります。その違いは言葉が共感を生み出せるかどうかです。
 コミュニケーションを円滑に進める条件は,共通の目標に向けた言葉が選ばれていることです。何をしたいのかという気が合っていないと,言葉はざわざわと耳障りな響きを残して通り過ぎていきます。
 連れ合いが今日一日見聞きしたことを話しかけてきます。女性は両方の耳で聞いたことを口から出すものだと喝破した賢人がいましたが,今も変わっていないようです。住む世界が違っている話題にはついてはいけませんが,それでも何を伝えようとしているのか,黙って聞いていると分かってきます。ケーススタディをしているようです。「今日こんなことがあった。私はこう思った(考えた)。あなたはどう思うか(考えるか)?」。 大体のパターンはこうです。
 表面的には単なる世間話なのですが,夫婦関係という面で見れば,連れ合いは物事への感じ方を寄り添わせようとしているのです。無自覚的に夫婦で同じように感じたいと願っているのでしょう。そこでこちらから小さな修正意見を持ち出すと,ちょっぴりムキになりますが,最後には素直に受け入れてくれています。もちろんこの関係は一方的ではなくて,暮らしのあれこれについては立場が逆転していて,二人三脚ですから不都合は生じません。
 話の展開が平行線になる場合もあります。そのときはもっと大きな視野に移し替えることで,立場の違いを了解し合うことにしています。世事は答えが一つとは限りません。さらに,正しいことが通らない,正しくなくても答えになりうるという場合もあります。この場合に限ってという制限付きの答えです。そのような前提を了解し合えば話はけりをつけられます。例えば,男と女の感性,当事者と第三者,環境条件,立場,価値観の選択の違いなどにまで突き詰めておけば,一応の納得に至ります。
 物事をお互いにどのように了解できるか,その接点を分かり合えば気持ちは通じ合えます。意見の違いはあっても,そうならざるを得ない前提事情が認められたら,それが接点になります。内容の拗れがある場合には,何を優先させるかを合意します。それさえ押さえておけば違いは許容できるからです。
 価値観を同じくすることが夫婦の絆ですが,それは日常の何気ない言葉の交接によって得られます。気持ちの襞を絶えることなく言葉で共振させることが大事です。日常の用件しか会話がない,それは心の交わりを失っていることです。男は観念的,女は触感的と言われますが,もう一つ共に心感的であろうとしたとき,その都度細い絆が新しく絡まっていきます。

(2002年10月06日号:No.132)