《情報の 隙間に潜む 不親切》

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 公共のサービスにおいて最も難しい局面は,送り手と受け手の接点です。特に受け手が新規の場合には,気配りが大事です。サービスにはできることとできないことの線引きがあります。受け手の側にはその線が見えづらいし,線があることさえ予想外という場合すらあります。
 我が町ではこの秋からゴミの分別収集の形式が変更になります。新しい処理施設の稼働開始とペットボトルの資源化による変更です。分別の仕方がややこしくなって面倒になり,収集日もゴミの種類で違ってしまい紛らわしくなったというわけです。否応なく環境意識の高揚が求められ,他人事ではなくなくなってきました。身に降りかかるやるべき課題をどこまで完全に受け止められるか,社会人としての資格チェックを受けることになります。
 ゴミ袋が色分けされますが,従来のゴミ袋が使えるのかどうかという案内がありません。新しく変わりますという案内は届いているのですが,さしあたっての対処について広報が十分ではありません。もちろんこちらがいい加減に案内を見ているという身勝手な都合は棚に上げています。
 判断が二つに分かれます。使っていいとは言われていないので使わない,使ってはいけないとは言われていないので使う,という反対の判断です。使った場合にはトラブルが発生するケースが出てきます。変わったのだから使えないと思うべきであり,使っていいとは言っていないのだから使えないのだとサービス提供側が拒否する場合です。拒否された側は,いけないとは言われていないと反論することが可能です。現実には使えるようなので,このトラブルは起こりえないのですが。
 できないサービスをどこまで周知徹底させるかが課題です。大筋ではできるけれども,そこに条件があるときは要注意です。できないなら事前に言ってくれという気持ちを受け手は抱くものです。問い合わせてくれたら教えたのにという応対が時折送り手の言い訳として出てきます。受け手としたらだまし討ちにあったようなものです。
 サービス提供における大事なポイントは,事前に条件を知らせているかということです。かつて知らせておいたはずとか,聞かれたらでは困るのです。今知りたいといったときにその情報が手軽に手にはいるように案内されていなければ,不親切です。情報の開示が時代の流れですが,それはいつでもどこでも誰でも知りうるという意味であり,公共サービスでは最も気をつけるべき広報体勢なのです。最も目に付くところにできることとできないことを明確に表示しておく案内板は最低限の情報開示です。
 サービスの送り手にとって当たり前のことであっても,始めての受け手にとっては当たり前ではありません。そのことを忘れたとき,サービスが不親切だという評価を招くことになります。このことはコミュニケーションにおける大前提でもあります。

(2002年10月13日号:No.133)