《初心とは 確かな明日への 道しるべ》

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 初心に返るという言葉があります。いろんな場面で,この言葉に従ってみると,方向を見誤っていることに気付かされます。考えや気持ちや価値観,大きく言えば生き方に,知らないうちにアクがこびりついて,曲がっているものです。古くなるとくすんでくるのは,モノだけではありません。
 夫婦という関係も,初心である新婚の時の気持ちが生活の色に上塗りされていきます。それはそれでお互いに馴染んでくるという効用はあるのですが,お互いをあらためて意識するという煌めきがなくなります。それは夫,あるいは妻という色に染まった相手しか見ていないからです。男であり,女であるという視線を持てば,自然に初心に戻っていけるはずです。円満であるためには,惚れ直すという初心への回帰を上手に実行することです。
 親子という関係では,子育て真っ最中にはあれやこれやの期待をかけます。あれこれができないと叱咤激励をしてできるようにしようと焦ります。しかしながら,親の思うようには育たないものです。親は子どもの成長とともに諦めていくことになります。子どもが生まれる間際は,とにかく無事に生まれてくれさえすればよかったはずです。どんな子どもという指定はしていませんでした。それなのに,親はその初心を忘れて,子どもに自分の欲を上塗りしてしまいます。でもそれは,子どもから拒否されて化けの皮が剥がれるようにこぼれ落ちていきます。親の願いから抜け出したとき,子どもは自分の足で歩き出します。親は子どもから初心に突き戻されているのです。
 社会にある大小さまざまな組織も同じです。初心である設立の趣旨が,時を経るとともに少しずつずれていくのが自然でしょう。それを発展と呼びます。小さな町工場が企業として成長するときに,設立時の理想は変更を余儀なくされます。例えば,規模の伸張が組織自体の生き残りという命題を背負い込むからです。そこに落とし穴が待っています。社会に貢献するという純真な趣旨は,会社を守るために仕方がないという論理に乗り換えることで,隠さねばならない仕儀に手を染めていくのです。初心に立ち戻って考えることを忘れたからです。
 制度にしろ規則にしろ,運用の細部に引きずり回されているうちに,ゆっくりとゆがんでいきます。もともとの趣旨,初心が何であったか,それをいつも気にかけておくことが,関わる者には求められます。方向を見失うと迷走するのは,道行きばかりではありません。それは至極当然のことと誰しも思うはずですが,やっかいなことは方向を見失っていることに気がつかないことです。自分は真っ直ぐ歩いているつもりというのが困るのです。そのことへの先人からの警句が,初心に返れという言葉なのです。
 個人的には地位や名誉や財産といったアクがついてくると,それを守ることにかまけて,無一文,無一物から始めた初心を忘れていきます。それを体現することは難しいことですが,せめてこれ以上アク付けしないようにしたいものです。

(2002年11月10日号:No.137)