《ご多幸を 祈り祈られ 年賀状》

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 何処にも出かけず連れ合いとダラダラの寝正月。そんな中で定番のお仕事は年賀状の整理です。出した方と頂いた方の対応をチェックし,出しそびれた方への返信を済ませます。大事なことは頂いた年賀状による住所録の確認です。旧住所でも1年間は届きますので今年の年賀状は大丈夫ですが,来年はそうはいかないからです。
 宛先不明で返ってくる年賀状もありますが,今年はありませんでした。教え子への年賀状がそうなりやすいようです。就職後の移動があるからです。家庭を持つ年頃になると住所も落ち着いてくるようです。子どもの写真付き賀状などを頂くと,元気にやっているなと安心します。
 賀状だけの往来になっている方もいます。いずれどこかでばったりお会いできることもあるだろうと思いますが,一年のご無沙汰はそれほどの実感はありません。アッという間の一年,それがご無沙汰も短くしてくれるようです。ただ,近頃はご本人の喪中のハガキを頂くことが増えてきて,先輩諸氏のアドレスを封印するときには,心からご冥福をお祈りしています。
 いろいろな関係のおつきあいがあり,連れ合いの分を含めて,200通ほどの年賀状を交換しています。何かの文章で見たのですが,賀状のつきあいは200件程度が適当ということですので,まあまあかなと思っています。つきあいの幅がそれくらいあった方が健全だという意味合いでした。
 ご縁という言い方は古めかしくなりましたが,それを得がたい財産と思っていれば心穏やかに過ごせるようです。年賀状一枚一枚を手にして目を通していくとき,定番の言葉であっても,つながりの温もりを感じています。お名前を見て顔を思い浮かべることが楽しみです。
 最近はパソコンで打ち出した賀状が増えてきました。印刷されたものを含めて,それらを味気ないという感想も聞かれます。自筆による一言を添えてくれたらうれしいのに,ということでしょう。でも,賀状を届けてくれるだけで十分ではないのかなと思います。便りそれ自体に意味があるからです。
 誰にでも通用する紋切り型だけではなく,自分だけに向けたメッセージによって,二人の間に確かなつながりを感じたい気持ちがあるのは事実です。でも,それは受ける方の勝手です。添え書きがないから大事にされていないと思って落ち込む必要はありません。自分に向けて賀状を出しておこうと思ってくれた先方の気持ちを素直に受け取ればいいのです。
 「ご多幸を 祈ると書いて 祈らない」という川柳がありました。それを不謹慎だ,失礼だと感じるかどうかは自由ですが,そんな薄情さを抱えているのが人間だと弁えておく方が気持ちが楽です。本音のつきあいなんて誰にもできないでしょう。儀礼に意味がないと捨て去るとき,つきあいを根こそぎ抜いてしまいます。弱い人間がかろうじて気配りをつなぎ止める方便として儀礼があるのです。

(2003年01月12日号:No.146)