《和やかさ 生み出すための 嘘もある》

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 人は嘘をつきます。自分を守るためにと同時に相手を陥れないために,嘘をついてしまいます。自分の欲のためと同時に相手を陥れるような類の嘘はしっかりと歯止めが掛けられているはずです。必要悪として許されている嘘も,やはり後味の悪いものです。
 セールスや勧誘の電話に対して,居留守を使います。「ご主人ですか?」の問いかけに,「いいえ,仕事に出ています」と別人になりすまします。見えないことを隠れ蓑としてずるい応対です。最初は何となく気持ちの上でぎごちなさを感じていましたが,繰り返すうちに何のわだかまりもなく自然に口から出てくるようになります。慣れとは怖いものです。
 「ご多幸を祈ると書いて祈らない」という川柳がありました。引っ越し挨拶状のご近所にお越しの節は・・・という文言も本気ではないでしょう。虚礼ですが,双方ともに納得ずくですから了解済みの嘘になります。このような了解は無用であると考える単純な思考が社会を住みにくくしています。
 つまらないものですが・・・という贈り物に添える言葉も,素直に聞けば失礼です。つまらないものを呉れるなんて!と叱りたくなります。でもその言葉の真意は,贈る側は最上のものを差し上げるという了解の元で,贈られる方はいいものをお持ちになっておられるはずで,贈り物がつまらないものと思われることでしょうということです。もしも逆にこれはよいものですからと贈れば,相手の価値観を送り手の価値観まで貶めることになります。その方が失礼なのです。
 人は誉められたいものです。誉める方法の一つが,こちらがへりくだることです。謙譲の謙はへりくだると読むことはご存じでしょう。相手を立てることで相手に気持ちよくなってもらえば,関係は円満に進み結局は双方ともに得をします。損して得取れという強かな勘定であっても,お互いが了解済みであれば,それは人間関係のテクニックとして必要です。
 もしも人の心がお互いに顕わに分かるようになったら,確実に人間社会は壊れます。自分の本心を知り,他人の本心も推察できるとはいえ,それをお互いに嘘でカムフラージュすることで取り繕うから,何とか触れ合いが可能になっています。ベトベトしたものをティッシュで包むから,手に持つことができるのと同じです。虚礼がなければ,人は人間の業を手づかみにしなければならなくなります。とても耐えきれないことでしょう。その片鱗が事件として出現しています。
 社会生活にはコストがかかります。人づきあいの必要経費です。つきあいという手間暇の浪費や虚礼の類は「社会税」と言えるでしょう。虚礼が無駄だと判断するときに,廃止した後には別のもっと大きなコスト負担が発生することを考えておくべきです。

(2003年02月09日号:No.150)