家庭の窓
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情報化の時代と言われながら,テレビ情報の貧困さはどうしたことでしょう。タレントが旅に出て名物料理を食べたり,温泉に入ったりという番組が毎日どこかで放映されています。ワイドショー番組は,どの局も同じ内容です。チャンネルを変えてもそのまま続きが見られるという程です。視聴者の薄められた意図を反映するにすぎない視聴率に迎合する安易さが,意図せずに情報コントロールを招いています。
絶品かにづくしという画面を見せられて,タレントがいかにも美味そうに頬ばる顔をクローズアップされても,それがどうしたという感想しかありません。食事は人に見せびらかしながらするものなのでしょうか? どうにも目をそむけたくなってしまいます。食事を弄んでいると感じます。
温泉にはいるときに,バスタオルを巻き付けています。同浴している一般の人は素っ裸なのに,タレントはバスタオルのまま入浴とは,失礼千番です。修学旅行に出かけた子どもたちがバスタオルを巻いて入浴する不自然さは,どう受け止めたらいいのか迷います。
頑固親父の小言に似てきましたが,物わかりよく時代の流れと受け止めてしまえばそれまでです。風俗が変遷することは認めても,その行く末がどうなるかを心配します。このままでいいのか,そういった不安を感じるバランス感覚が社会から衰えていることが気がかりです。
洗脳と言えば何かしら不気味さを感じますが,情報の偏りは洗脳そのものです。社会には誰も陰謀を巡らしてはいないのに,世間の風潮に流されることで自らを洗脳する働きが潜んでいます。どうでもいいような情報が垂れ流しされているので,テレビなど見ないという選択をする大人もいるでしょう。暇つぶしのために,毎日毎日のぞき見的関心に浸って洗脳されている大人もいるかもしれません。
自らの責任で生きていく時代には情報の自由な開放が前提になります。自分の責任で情報を選び,自らの生き方を決めなければなりません。何を知っているかで,古来人の器というものが測られてきましたが,情報の質が生き方の質を左右するからです。知性と教養と呼ばれている資質は,獲得した情報の質と同義なのです。
では,情報の質は何を持って判定したらいいのでしょうか? 最も簡単な査定は,有料か無料かという区別です。テレビ情報は無料です。無料とはタダで差し上げますという程度のものです。質のよい情報は有料でなければ手に入りません。身銭を払ってこそ,本物の情報に触れることができます。
人とのつながりの手段は会話です。その会話でも,よい情報を提供するから,見返りによい情報を受け取ることができます。無駄話しかしないと,無駄話しか聞くことはできません。対価に見合った情報交換がコミュニケーションの原則です。
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