《違うもの 重ねてみると 見えてくる》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 新聞の囲み記事を見ていたら,面白い記事に出会いました。欧州の調査ですが,カップルの3組中の2組が首を右に傾けてキスをしていたそうです。空港や公園などで観察をした結果だそうです。それがどうしたの?という程度の印象でしたが,意識していない行為には何か隠された意味があるのではと感じるのが研究者なのでしょう。
 北朝鮮のアナウンサーの心理状況を顔の左右半分の表情から読みとろうとしているテレビ番組がありました。普通は左右の表情は違うはずなのに,全く同じ表情をしているという結論でしたが,そんな風に表情を見る方法があるのかと感心しました。
 ところで,顔の表情は右側はパブリックな顔で,左側はプライベートな顔だそうです。だとすると,キスをするとき首を右に傾けるのはお互いに対して左顔を見せ合っていることになり,まさにプライベートな体勢として相応しいものになっています。そう考えると何となく辻褄があったようで,なるほどという落ち着きが得られます。
 でも,それがどうしたということには変わりがないのかもしれません。それは疑問を感じないうちか,そんな疑問を持つことになんの面白みも感じない場合です。どうして右に首を傾けるのか? そんな疑問に取り憑かれたら,やはり気になって仕方なくなります。何とか納得できるわけを見つけたくなります。一件落着としたくなるものです。
 人は分かりたいという欲望があり,考えて解き明かすという喜びを持ち合わせています。永い間の人の考察が百科事典に集約され,図書館の知恵の集積になりました。膨大な量の知恵を獲得したのに,さらに人の考察は飽くことなく続いています。後世の人ほど恵まれた知恵に囲まれるようになりますが,それだけに自分で考える疑問が減っていきます。既に誰かが考えて解決済みということです。
 それなら,考えることをしないで済むかというと,ことはそう簡単ではありません。現実に必要な知恵はどうしても精密な考察をせざるを得なくなります。いわゆる重箱の隅をあさるような疑問が残されているからです。緻密な考察は膨大な量の情報を必要とします。例えば,恋心を考えようとすると,百万言を要するということです。恋を語る文学作品の数がどれほど増えていっても,恋心を完全に解き明かすことはできません。辞書に解説されている恋心はあまりに簡単すぎるのです。
 情報化という現在の状況が意味するものは,現代社会が緻密な考察を必要とするという前提の上で,緻密さを知識の統合という形で実現することなのです。従来は個別に得られていた知恵を,違った分野の知識を結びつけることで新しい知見とすること,それが情報化による統合なのです。キスとアナウンサーの表情という全く異なる知見を結びつけると何が分かってくるか,それは統合という考察法の簡単な例題です。

(2003年02月23日号:No.152)