《ボランティア お互い様の 縁つなぐ》

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 どこのどなたか存じませんが,ご親切にありがとうございます。いいえ,お互い様ですから。最近は,チョボラと言っているようです。ちょっとしたボランティア,約めてチョボラだそうです。袖振り合うも多生の縁,それが現代風にアレンジされたものです。
 言いやすく言葉を約めることが,すっかり定着しています。気軽さがいいのでしょうが,縁という語と違ってボランティアという言葉が心の口に合わないようです。食べ慣れないせいでしょう。ボランタールという言葉が語源ですが,ラテン語で自由意志を表します。外来語ですから,肌に馴染むまでには時間がかかるでしょう。
 ところで,ボランティアには,自発性,無償性,公共性という3原則があります。無償性についてはかなり浸透しているようですが,残りの二つはまだまだのようです。ボランティアでは「できることをできるときに」と言われることがあります。活動に誘い入れる言葉としてはそれでもいいのですが,取り組む覚悟は生まれません。自発性とは,自分から関わろうという意志です。できるときにすればいいという甘えは無用なのです。わざわざしようと決めてかかることが大切です。そうでなければ,ボランティアを受ける人に対して失礼になります。
 もうひとつ,公共性という面があります。社会公共のために役に立つ活動ということですが,公共という意味がまだ消化できていません。公共とは皆のものやことであるということはいいのですが,そこに私のものやことという思いが紛れ込んでいきます。例えば,公共の施設は皆のものだからと我が物顔に使い回すようになります。皆のものであるがあなたのものではないと言われたら,怒り出すことでしょう。
 ボランティアにおける公共性は,まずボランティアする側が公共物の私物化を極力避ける配慮からはじまります。現実には,ボランティア活動が行政や関連機関との関わりに依存している場合が多いでしょう。そこに行政との小さなもたれ合いが起こります。関係する公共施設を無遠慮に利用することにならないように気を付けなければなりません。
 そのほかに,例えば,規則によってボランティア活動を切り捨てる場合も起こりえます。どうすれば助けてあげられるかを優先しなくなります。できることを制限しようとするのも,公共性に反します。規則に従うことで公共的であろうとして,皆のためというボランティアの公共性を損ないます。気を付けなければなりません。
 皆が縁でつながってお互い様と助け合いをすれば,それが伝統的なボランティアです。そう考えた方が素直に馴染めるのに,カタカナ語などを使うから分からなくなります。ボランティアの定着するまでには,きちんとした理解を図っていく必要がありそうです。

(2003年04月06日号:No.158)