《食卓の 思いやりあって 食べ残し》

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 「ごちそうさま」。それぞれが食事を終えます。食卓に並んだ皿やビンなどの中で,もうちょっとで無くなるのにという状態のものが残っていることがあります。捨てるのは勿体ないというわけで,一番最後の者に食べてしまう役目が振り向けられます。
 残り物には福があるという言葉が添えられます。福ばかり集めて,フクフクと太めになった母さんがありました。今ではそんな成り行きを見ることもないでしょう。母さん方は肥満になることを避けています。食べ残しを残飯としてあっさりゴミに格下げします。食べ物を粗末に扱うとバチが当たります。
 気が咎めて捨てられないと,もうちょっとで無くなるはずの入れ物が,ラップをかけられて冷蔵庫にしまわれます。新入りの仲間に押し込まれて,やがて奥の方に追いやられ忘れられていきます。干からびて食べられなくなります。賞味期限のシールを貼っておけばいいのですが,普通はそこまで管理することはありません。
 毎日の献立を考えるのはたいへんでしょう。どうしてたいへんなのでしょうか? それは毎日考えるからです。一週間分や一ヶ月分を考えておけば,毎日は楽になります。人は何事かをやる場合,予定を立てます。決める作業を一括することで,後は実行しさえすればよくなり,楽になるからです。いちいちその都度考えていたら,面倒ですし,無駄も出て,効率も悪くなります。
 まとめて考えようとすると,一人当たりの分量を想定し,揃える材料の量を計算できます。食べ残しが出れば,その分だけ次の日の分量を減らすことも予定に入れることができます。企業ではないのでそこまでしなくてもと思っていたら,家庭経営は成り立ちません。大げさですね。
 余るほどのモノがあるから,豊かさや贅沢な気分が味わえるという側面があります。パーティなどでごちそうが目の前からアッという間に消えてしまい,空になった器が並んでいる光景は,いささか豪華さを割り引いてしまうかもしれません。もうちょっと食べたかったな,その方が健康的なのですが,損したような気分になるのも凡人の浅ましさでしょう。
 出されたモノは残さずきちんといただくようにしていますが,皆でいただく総菜についてはそうもいきません。他の者がどれほど食べるのか見計らいながら箸をつけます。少な目にすれば間違いないということですが,その思いやりが少し残す向きに働きます。最後の箸を伸ばすのは難しいですね。

(2003年04月13日号:No.159)