《ピビッと来る 苦労を共に できる人》

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 ある女性タレントがトーク番組の中で結婚できない理由を語っていました。好きな人ができるけど一生となると決断ができない,ということでした。確かに決断するには,エイヤッという踏ん切りが必要です。でも,人を好きになるというのは,後先を考えないもののはずです。この先を考えるという余裕が持てるのは,打算が生きていることになります。
 結婚とは創っていくものです。この人とだったらよい家庭が作れるという確信が,結婚のスタートでしょう。実のところ単なる思いこみです。でも,自分と相手をとことん信じています。そこから,二人は変わります。合体して一つになるからです。結婚しても自分を今まで通りに生かしたいと思うなら,結婚する意味はありません。
 結婚とは,自分をより高めるために,つまり社会的に脱皮するためのステップです。所帯持ちが信頼を追加されてきたのは,結婚が共同生活を営む資格証明と見なされていたからです。人を信頼できていることが,信頼してもらえることにつながっています。
 若い人が結婚の決断を逡巡する理由は,もう一つあります。自分自身が心変わり,あるいは心移りするかもしれないという危惧です。もっとも具体的なことが,もっといい人と巡り会うかもしれないから,という言い訳です。後にも先にもこの人しかいないということは,神様しか分かりませんが,それを求めています。自分がそう思っているから,相手もそうだろうと投影して,結局どちらも信じられなくなります。
 夫婦は割れ鍋に綴じ蓋といわれます。自分に似合った相手と結ばれるという天の采配が働いているようです。よりよい相手と結ばれようと願うなら,相手にとって自分がよりよい相手でなければなりません。自分のことはさておいて相手にばかり高望みをするのは,不釣り合いのもとになります。なにも家柄や学歴などのことを言っているのではありません。結婚は生身の人間の結びつきなのです。
 ところで,黙って俺についてこいという古い男気は,流行らなくなりました。男の側に夫婦で一つという気持ちがありません。これでは夫婦にはなれません。さっさと捨てられますが,理由が分からないと嘆くことになります。家制度というしきたりが生きていた頃は,かろうじて世間体としての夫婦の形が維持されていましたが,内容は夫婦ではありませんでした。どうも男性の方が時代の変化に遅れているようで心配です。
 相手から何をしてもらえるかよりも,相手に何をしてあげたいかを考えていたらいいでしょう。端的に言えば,アリガトウと言うよりも,アリガトウと言ってもらえるようにしていれば,仲のよい夫婦ができあがっていくはずです。夫婦が似てくるのは自然なことではなく,お互いを大切にしようという気持ちがあるからなのです。

(2003年04月20日号:No.160)