家庭の窓
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あるテレビ番組で,「悪い人じゃない。不器用なだけ」という台詞がありました。どちらかといえば,おじさんに向かって言われるのが似合っている言葉です。でも,実は誰にでも当てはまるのかもしれません。人はいつも器用に立ち回ることはできないからです。
人はそれぞれに思惑を持っています。付き合っていると,お互いの思惑のすれ違いが起こります。それが当たり前だと考えておいた方がいいようです。その覚悟が世間は思い通りにはならないという世渡り心得の正体です。相手の思惑が読めるうちはいいのですが,信じられないということになると混乱や衝突に至ります。
辛いことには,他人の思惑は分からないものです。ムシャクシャしたというだけで,通りがかりの人に刃を向けるたわけ者がいます。そんな例外的なことは別にして,普段から付き合っている人との間,連れ合いや友人知人ともすれ違いが紛れ込みます。それを回避する努力はしておかなければ,つきあいが壊れることになります。
夫婦の間では思惑はわがままそのものになりがちです。連れ合いにこうして欲しい,ああして欲しいという思いが先にあって,コミュニケーションに入ります。それが実現しないと,相手を責めます。自分のことを分かってくれないという勝手な気持ちを押し出して,相手の不実をなじるようになります。度重なるようになり,お互いに相手を責めるようになったら破綻するしかありません。
出会いがあれば別れもあるのですから,喧嘩別れをするのもいいのでしょう。しかし,周りの人との別れを自ら招きやすいということになると,それは病気ということになります。つきあいとは,心が多少苛ついても,それをあっさりと飲み込める度量を発揮するものです。
短絡的に相手を責めるのではなくて,相手の思惑を確かめる余裕を差し挟む必要があります。簡単に言えば,人は分かり合えるものだという信頼を忘れないことです。お互いの思惑のトゲがチクリと刺さったとき,ちょっと離れてみて,トゲをしっかりと見つめてみます。相手の繰り出すトゲをへし折ろうということではありません。
他人に対してはトゲですが,本人にとってはトゲなどではありません。トゲだと言われたら,心外だと感じるはずです。自覚していないから始末が悪いのです。難しいことかもしれませんが,相手のトゲはトゲとしてそっとやり過ごすか,受け止めてしまう工夫をすればいいでしょう。包んでしまえばどうということはない場合もあるはずです。
自分のトゲが分からない,だからそのつもりが無くて相手を痛めてしまいます。トゲが分からないから,知らないうちに相手を痛めることをおそれて閉じこもってしまうというケースも出てきます。それが不器用なつきあい方になります。誰か傍に痛いと素直に言ってくれる人がいれば,自分のトゲを自覚できるでしょう。その得難い人が夫婦であり親友というものです。
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