《なんでだろう 男におっぱい ついている》

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 「なんでだろう?」。テツ&トモのトレードマークとして流布しています。あらためて言われてみればなんでだろう,というネタが披露されます。NHKの朝の連続ドラマ「ぴあの」の再放送で,ご近所が集まって歌うシーンで不思議だなという歌がありました。大そうじというけれど小そうじはありませんとか,下心はありますが上心はありませんというものでした。
 子どもには手当たり次第に何,どうしてなのと質問してくる時期があります。まともに受け止めたら,とても難しい問題だと思い知らされます。大人になっても答えられないことがいかに多いことでしょう。大人に尋ねても答えが得られないので,何故だろうと思うことを止めていきます。大人は「そういうもの」と単純に覚えていくようになります。
 いつの間にか何故だろうという目をつぶっているのが普通です。そうしないと暮らしの場は分からないことだらけで頭がパンクするからです。それでいいのですが,時々は目を開けてみるようにした方がいいでしょう。何故だろうと思うことが考えることであり,考えるからお猿より3本毛が多いのです。
 もちろんほとんどのことがいくら考えても解けないはずです。無い袖は振れないのです。考えるためには手がかりとなる材料が必要です。知識の海から必要なものを集めて組上げたとき,分かったという結論が得られます。
 大切なことは,どこに必要な知識があるかを見極める力です。例えば,図書館に探しに行っても,手当たり次第にあたるということはしないでしょう。なけなしの自前の知恵を振り絞って,なにがしかの関係を想定しながら接近していくはずです。見当がつかなければ,係員に尋ねればいいですね。専門家に教えてもらえばいいというのも,知恵を探す知恵です。小さな知恵を次々につなぎ合わせて,核心に至る道に向かってさまよっていくのです。
 身体の健康のためにジョギングをする方がいます。しない人は何を好き好んできつい思いをするのかと冷ややかです。心の健康のためにあれこれ考える方もいます。しない人は何を好き好んで面倒な暇つぶしをするのかとあきれます。どちらも当人は楽しいのです。傍目からは見えませんが,やってみれば楽しいという快感がしみ出してくるのです。
 なんでだろう? その呪文で不思議の世界の扉を開けてみれば,心の目が磨かれるはずです。目から鱗が落ちるという感動が至る所に転がっています。そう信じて細道を辿っています。

(2003年06月15日号:No.168)