《慣れた道 時と場合で 様変わり》

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 慣れるという資質は,考える労力を省略する便法です。いわゆる体で覚えるというもので,ごく自然な行動としてパターン化され,省エネルギーを実現できます。いつもの調子で簡単にできるので,チェックを怠ることがあります。暮らしにはいつもとちょっぴり違うことが起こるものです。
 念を押すという確認作業を手抜きすると,思わぬ羽目に追い込まれます。そんなはずではなかった,という後悔の種は事前に蒔かれているのです。市内に講演に出かけることがありました。その近くには以前にも訪れたことがあり,いつものように出かけていきました。車で30分ほど走ればゆっくりと間に合うはずと踏んで,余裕を見て小一時間前に家を出ました。
 ところが,家から通りに出てみると車の列です。ここまで並んでいるとすれば,2キロは並んでいます。途端にしまったという思いでした。夕方の混雑する時間帯だったのです。この辺りで並ぶようだったら,目的地までに縦断しなければならない市内の大通りのラッシュは明らかです。案の定信号の合間にチョロチョロと進む車列にはまって,時計とのにらめっこです。一分の経つのがこれほど早いとは,非情に時は過ぎていきます。
 ここからだと普通なら何分ぐらい,約束までの残り時間との比較をしながら,ぎりぎりの時間までに延長を重ねて,焦りまくる始末です。先方ではおそらく遅いと心配していることだろうと思いながら,早く青に変われと祈るばかりです。神様・仏様のお陰か,開始時刻と同時に滑り込んだのですが,駐車スペースがありません。ド真ん中に駐車するわけにもいかず,ウロウロすることになりました。すでに集会は始まっているので,お出迎えはありません。ひどい目に遭いました。
 遠くに出かける場合は,距離や時間帯の確認,連絡先の電話番号など用意万端整えるのですが,近くであったということで,いつものようにと高をくくった手抜きでした。たいした実質的なご迷惑を掛けることは逃れられましたが,気をもませたのは失態でした。講演に出かけるのは大概がはじめての所なので,交通事情や道順などかなり余裕を持った配慮をしているのですが,それでも知らない土地のことであり読み違えて,ときどき大慌てをすることがあります。
 慣れるということのメリットである手抜き,それが時にしてデメリットに裏切ることもあります。災いは忘れた頃にやってくるものです。

(2003年07月13日号:No.172)