家庭の窓
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会議では,はじめに必ず会長の挨拶があります。当日の会議の趣旨を手短にお話しますが,その後でちょっとした語句の解説を披露します。小さな手みやげを差し上げるつもりですが,それが意外と好評です。ヘチマとはどういう意味なのか,メロンは野菜か果物かとか,日月火水木金土とは何の順番か,といった雑学です。
会議の本題は,協議されてしまえば,事業などの実践という形で実を結びますが,参加者自身には何も残りません。言葉の意味や由来といった情報は,一つの知識として個人に残ります。小さな学習として記憶にしまい込むことができます。それが取るに足らないものであっても,自分の手に入ればうれしいものです。
忙しい時間をやりくりして出席していただいた方へ,会長としてのささやかな寸志です。それを提供する機会は会長に与えられたわずかな挨拶の時間しかありません。何となく思いついただけの言葉のおみやげでした。最初は他愛のないことという恥ずかしさがありましたが,回を重ねていると会議の度に楽しみにしているという声をいただき,おみやげの手応えを感じてよかったと思っています。
言葉は先人が暮らしの知恵を込めて練り上げてきた遺産です。学術的な思索によって産み出されたものではありませんが,感覚が敏感に選び抜いた珠玉の作品です。何を感じ何を思っていたか,その真髄が織り込まれています。森羅万象を読み解こうとしてきた努力の結晶が,数多くの言葉として語り継がれてきました。
先日の新聞紙上で,「流れに棹さす」という語彙を逆の意味に受け取っている人が多いという調査結果が報じられていました。流れに飲み込まれるという意味なのに,流れに逆らうと思われていたようです。昔は自然の方が人の力を上回っているという気持ちが普通だったのですが,最近は人が自然を支配しているという意識が根底に居座っているために,流れをどうにかできるという思い上がりが意味を逆転させてしまったのでしょう。
犬は可愛いものでしょうか,それともこわいものでしょうか? 同じ犬でも,見る方の気持ちで意味は逆転します。言葉の意味がずれているとき,それは使うものの意識や気持ちが変わっていることを表します。
何気なく意味を考えずに使っている言葉,その成り立ちを明らかにすることで,時代の変化が読みとれます。言葉からは知恵の歴史がひもとけるのです。例えば,ハイジャックという言葉は,アメリカ西部の開拓時代の駅馬車強盗に由来しています。言葉の意味を確かめると,今の自分が見えてくる場合があります。できるだけ,そんな例を提供できたらと,言葉の手みやげを探しています。
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