《慣れによる 停滞防ぐ 時の初心》

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 世阿弥による「初心忘るるべからず」という言葉があります。はじめて道に踏み込んだ青春の頃の初々しい心を,いつまでも忘れないようにしなければと思われています。そのような解釈もそれなりの意味がありそうなので,間違いとは気付かれません。
 初心には,是非の初心,時々の初心,老後の初心の三つがあるということです。是非の初心とは,善悪の批判基準であり,若輩の頃の未熟さを戒めとするということです。時々の初心とは,それぞれの年齢に応じた初心を見出さなければならないのです。40歳になれば,それは初めての40歳であるからです。40歳を何度も経験する人はいないのです。最後の老後の初心は,肉体的衰えと精神的円熟の転機として,人生の大きな節目として,意識して初心を完成させることになります。
 夫婦の歩みに重ねれば,結ばれた頃の甘く切ない初心にしがみつくことではなく,三十路の初心,四十路の初心と,毎年の初心を見つけ続けることが大事です。下世話では,惚れ直すと言います。過去に縛られるのではなく,今目の前にいるお互いに初心で向き合えればいいのでしょう。夫婦のぬくもりが薄れていく原因は,慣れです。その慣れを打ち消す処方箋は,まさに初心を持ち続けることです。
 人と人の関係も同じ処方が有効です。出会いの第一印象という初心に引きずられることが普通です。あの人はこんな人という思いこみが支障になることがあります。良好な関係でない場合です。時々を初心として素直につきあっていくと,思ったほどつきあいにくい人でもないと分かってきます。思ったほどということは,自分が思いこんでいたということです。
 仕事を処理していく上でも,慣れがミスを誘います。うっかりしていたというミスは,初心につきものの緊張感を失っているからです。共同で仕事をする場合,情報の伝達に穴があいて,連絡不十分というミスが起こりますが,それもお互いに分かっているだろうという慣れに起因します。ベテランになればなるほど言葉を省くことができますが,思いこみというミスマッチが紛れ込んでしまいます。念を押すという確認作業は,初心であれば自然に付随してきます。
 お茶の世界では,一期一会とあります。一度しかない出会いを誠心誠意迎えることですが,時々の初心を実践する心得です。初々しい心,それはあれこれと関わる今日一日を充実して過ごす術であるのかもしれません。

(2003年08月31日号:No.179)