《不快から 快に向かうが 育つ道》

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 盆踊りの季節です。地域の各組織が毎年人寄せのイベントを担当して,夏祭りとして神社の境内で開かれています。子どもたちも集まるというより集められますが,何をどうしたいというのではなく,所在なさそうにじっとしています。皆でする楽しさを知ってほしいのですが,子どもたちには通じないようです。
 春になると温かさに目覚めた花が咲きはじめます。しかし,実はその前に寒さを体験することが必要です。このメリハリが生きる回路のスイッチを作動させます。祭りが楽しいのはハレのにぎやかさがあるからですが,その前にケの静けさがあってこそ引き立ちます。今の生活にはハレとケの区別がなく,年中お祭り騒ぎのようです。楽しさに肥えた子どもに,祭りの薄味な楽しみは通用するはずがありません。
 衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが,最近の事件を見ると事態は全く逆になっています。礼節が豊かさに誘われるためには,貧しさという体験が必須です。豊かさの意味を弁えることができるから,礼節への扉を開ける資格が得られます。豊かさの中で育ったら豊かさが見えないので,礼節は立ち枯れせざるをえません。つまり,衣食が足りたという実感がなければならないのです。足るを知るというのは,大切な踏み絵です。
 布オムツと紙オムツが子どもの育ちにどう影響するかという迷いがあるようです。時代の趨勢は紙オムツですが,それはひとえに親の方の都合が優先しています。紙オムツを自分で試した研究者がいます。その結論は,体内にあるときはどうということがなかった尿も,紙オムツに吸収されると途端に重くなるそうです。腰痛が赤ちゃんに多くなった訳が分かったそうです。布オムツでは水分は蒸発するのでそういうことはなかったそうです。確かに布オムツは濡れると不快です。しかしその不快感が,早くオムツをしないで済むように育ちを促します。この点がサラサラ紙オムツでは望めない,とても大事なポイントです。
 人は不快な状況を脱して快に向かおうとします。それが育ちや,生きるということの道筋です。豊かさの中にいる子どもたちは,快の中にいるので本当の育ちができないでもがいているようです。

(2000年08月06日号:No.18)