《連れ合いに すまぬとわびる 味音痴》

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 連れ合いは魚派,私は肉派と食嗜好が違います。幼い頃,父親が小骨を心配して魚の背だけしか食べさせてくれなかったせいで,食べ方が下手で,それが魚からますます遠ざけるという悪循環になったようです。刺身は好きですから,魚が嫌いなわけではなく,食べるのが苦手で面倒というわけです。
 ところで,刺身を食べるとき,山葵を醤油に溶かし込んではいけないそうです。刺身に山葵を少しのせて醤油につけ,味と香りを楽しみます。順序は淡泊な味の白身から,貝,赤身と濃厚なものに進めば美味しいそうです。手前に盛られている順に食べればいいようです。
 「自然に生きている動物に食べ過ぎて肥満になっているのはいません。肥満というのは不自然です」というコメントがありました。現代人は食べ過ぎています。自然と不自然とはいったいいつから道別れをしたのでしょうか。調味という概念を会得したことからです。最高の調味料は空腹です。お腹がすいたら美味しく食べられるものです。そこに止まっていられたらよかったのですが・・。
 社会性という人間の特質が食事を共にする習慣を生み出し,接待という行為をするようになりました。おもてなしをする気配りとして,より美味しく食べていただくという付加価値が登場し,調味の技が磨かれていきました。目で見て舌で味あうようになったときから,洗練された食事というイメージの下で不自然に食欲をそそることに価値を付与しはじめ,食べ過ぎに向かって一直線です。貴族の太っ腹です。
 味覚は本来食欲にしたがって食べられる食料の安全性とバランスを確認する選択機能です。酸っぱいものが食べたいというのは,身体がそれを必要としているからです。一方で,もともとそうではないのに酸っぱくなったものは腐っていて身体に毒だとして摂取拒否信号を出しくれます。
 食欲よりも味覚の楽しみを優先するようになったことが,食べ過ぎの誘因です。食後に「これは別腹」と言いながら甘いものを口にするのは,味覚の中毒症状が健康な食欲を麻痺させているのでしょう。
 どんな味付けであろうと,どんな食べ方であろうと腹に入れば同じという食事の仕方は,一見乱暴で不作法かもしれません。しかし,味覚にとらわれないという点で,案外と健康な自然作法なのかもしれません。連れ合いにいつも呆れられている味音痴を感謝しなければならないようです。

(2000年08月13日号:No.19)