《因果には 縁と報いが 寄り添って》

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 因縁果報という言葉があります。ものごとを考えるときに一つの指針として役に立ちます。料理をするとき,素材を加工するまな板と包丁が必要です。考察をするときにも,それなりの用具が要りようです。事柄を切り分けることで分かり,正しい結論に導かれていきます。
 普通は,因果関係を基本として考えます。こうだからこうなるという論理です。種があるから実がなるということです。あの人はああいう人だから,あんなことを言ったりしたりすると考えます。極端な場合では,血液型がA型だから几帳面だと言います。何かの原因を探し出せば,納得できるわけです。
 ところで,種があれば実がなるでしょうか。畑に植えなければ実はなりません。種をテーブルの上に置いていても実にはなりません。物事は因果関係だけではありません。種が畑と縁のつながりを持たなければなりません。これが因縁であり,やがて花が咲きます。蜜という報いを虫たちに提供することで受粉が行われて果実になることができます。種と実が周りの世界と縁を結び周りの世界に報を与えているのです。
 人は周りの人と縁でつながり,周りの人に報いて生きています。人の言動は人付き合いのありようで変わっていきます。どんな友だちとつきあっているか,それが人の有り様を変えていきます。同じ人でも縁が変わればガラリと変わります。どんな人と結ばれるか,その選択がその人の生き方を選ぶことにもなるのは誰しも経験しています。ご近所づきあいも同じです。どのような隣人がいるか,どのように縁を結んでいくか,それが自分の人生の果を左右しています。
 人の気に入らない部分を意識するような縁を作り上げれば,作り出す実は苦かったり酸っぱい味になります。吸収している水や養分として苦いものをことさら選んでしまっているからです。まっすぐに太陽に向かって明るい光りという縁を受けていれば,甘美な実になるのに。
 自分は今の自分のような人に友だちになってほしいですか? そういう問いかけを自分にしたとき,自信を持ってハイと言えればいいのですが。それが自分の縁をよきものにする条件です。自分はこう思っているのに周りの人には分かってもらえないという縁の不通を感じることがあるものです。縁の結び方がどこかもつれているせいです。それを周りのせいにしていたら,もつれはいつまでもほどけません。
 さらに果実が実ったら,それを独り占めしないようにしなければなりません。縁をいただいた報を返すのが礼儀でしょう。物事がうまくいったとき,みんなで喜び合えるように心がけていれば間違いはありません。もしもうまく運ばなかったときも,誰かのせいにするのではなく,皆で真摯に受け止めることです。それができないとき,因縁果報による人の和が壊れていきます。

(2003年09月21日号:No.182)