《なけなしの 知識つなげば それなりに》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 七転び八起きという激励の言葉があります。くじけないでがんばろうという慰めにもなります。ある本を読んでいたら,この言葉はおかしい,そのことに気付く目を持てと書いてありました。理由は,七回転んだら起きるのも七回ではないのか,八回起きられるはずがないということです。言われてみればその通りです。
 ある会合で挨拶の後の小話として紹介しておきました。どのように受けて取って頂いたかは分かりませんが,そこで分かれ道が現れたはずです。確かにそうだ,面白いなと思った人,あるいは,それがどうした,つまらないと思った人がいるでしょう。辻褄の合わないものを見つけて,アレッと感じる好奇心のスイッチが入るかどうかです。この例に対して感性が作用しないとしても,どうということはありません。そんなに大げさに考えるほどのことでもないからです。
 面白いと好奇心をくすぐられた人は,次にどのような道を取るでしょう。面白さを他の人にも伝えようと,どこかでしゃべるかもしれません。自分はこんな面白いことを見つけたという形で,ひょっとしたら知性の輝きも自慢できることでしょう。座をにぎわせるしゃれた話の伝道者気分です。
 もう一つの道は,辻褄が合わないのに,なぜ「七転び八起き」といっているのか,と謎の深みに分け入る選択です。ちょっとは考えてみるかもしれませんが,おいそれとは解けそうもないと諦めることもあるでしょう。手近にある故事に関する書籍を探して開いてみるところまで進む人もいるでしょう。でも,よほどの詳しい文献でないと,答えには辿り着けないと思われます。
 手間暇を掛けても見合うだけのメリットがあればいいのですが,宿題のような強制された問題でない限り,継続審議になるはずです。その時点で,自分の常識の中で考えてみようとするかどうかが自学の岐路になります。たとえ正解ではなくても,自分はこう考えたという自分なりの答えを出してみませんか。
 七つという数は,人が何とか扱える個数です。例えば,七輪,七色,七変化,七草などがあります。また,局番と電話番号のように,一度に覚えられる数字は七つまでです。携帯電話の番号は8桁ですが,なかなか覚えられません。八つという数は人にとってたくさんという意味を持たされてきました。八百屋,八百八町はたくさんということを表します。数に関するなけなしの知識を引っ張り出すと,何かが見えてくるようです。
 転ぶのは人がすることであり,七回までは数えることが出来ました。それ以上は分かりません。そこで八回起き上がるとしておけばいいだろうと考えたのではないでしょうか。八回とは七回の次という文字通りの意味ではなく,たくさんという締めの気持ちが込められているとすれば,少しは納得できます。
 八回目と文字通りに考えるから辻褄が合わないことになります。昔の人の数に対する思いを勘案すれば,気持ちの中で辻褄はきちんと合っているのです。これが正解かどうかは保証できません。ただ,一つの解答です。別解を出してみませんか?

(2003年10月05日号:No.184)