《片づけに 参画すれば よい終わり》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 期末試験で答案を回収するときのことです。時間終了前に退出したい者は答案を各自教卓の上に提出することにしています。学生たちは三々五々に答案を提出していきます。見回りながらそれとなく教卓の方を見ていると,ポンという調子で置いています。向きは揃えてくれていますが,重なった答案は不揃いになっています。
 きちんと重ねて置こうとする注意深さが感じられません。けっして乱暴というものではありませんが,向きがそれぞれ少しずつずれています。回収し終わればトントンと教卓の上で揃えれば済むことです。大したことではありません。しかし,答案を揃えて提出するという気配りがないのは,自分の答案を粗末に扱っているようで,何かしら割り切れない感じがします。また,次の人にワザワザ余計な作業をさせていることに気付く感性を持たないと,ざらついた関係を生じるでしょう。
 ある会議に出席した折りのことです。ほとんどがお互いに見ず知らずのメンバーの会議です。主催者の手で各自のテーブルの前にペットボトル入りのお茶とコップが配られました。会議が終わって退出するとき,そのお茶セットがテーブルの上にずらりと並んだままでした。事務局の席まで持って行ったのは一人でした。なにもこれ見よがしにしたわけでもなく,少しでもできる片づけはしておいた方が,すっきりと退出できるからです。
 毎月の会議を公的施設で開いています。テーブルの準備は事務局の人がしてくれていますが,終了すると全員がテーブルを元の配置に復帰させてから退出しています。一人ひとりはちょっとした手出しですが,あっという間に終わります。会議を終わらせるということはそういうことでしょう。
 人が集まるときには,必ず事前の準備をしてくださる方がいます。勝手を知っている会場なら早めに出席して一緒に準備をすることもできます。そうでなければ,せめて終了の作業には参画した方が気持ちがいいはずです。そんなことは事務担当者の仕事,そういう割り切り方も分からないではありませんが,できることをしない理由にはなりません。なぜなら,集まりはみんなが参画することによって成立するものだからです。
 会議などの集会活動では,出席して手足は出さず口出しさえしておけば事は足りるという雰囲気があります。特に出席者の中に女性が入っていると,女性は片づけを手伝う側にすんなりと入っていきますが,手出しに参画しようとする男性は少数です。男女共同参画の足下は,砂地のようにサラサラと崩れているようです。
 昔から終わりよければすべてよしといわれています。全部終わった,そのすっきりした気持ちを共有できたときに,人の心は一つにグッとまとまるものです。出席者はさっさと帰ってしまい,世話係がゴソゴソと後片づけをする,その乖離は小さいことかもしれませんが,結束のヒビを産み出します。できる範囲でいいから,後片づけに手出しをする気配りは持っていたいものです。

(2003年10月12日号:No.185)