《今生きる その足跡は だれ残す》

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 文化祭に行ってみました。別件があって会場まで出かけなければならなかったのです。カレーとぜんざいという奇妙な取り合わせのランチを済ませ,約束の時間までの暇つぶしに,開催されていたおもちゃ展の会場をのぞきました。入り口側から古い順に展示されており,くるっと一回りをすると現在までの変遷が見られるという趣向です。
 最初に目に飛び込んできたのが,メンコ(ぱっちん)でした。ガラス越しに懐かしい絵柄が並んでいます。勝負をして,たくさん集めていた頃の手触りが思い起こされました。ブリキの動くおもちゃや,バネ鉄砲や紙の火薬を鳴らすピストル等を見ているうちに,すっかり忘れていた遊びの感覚が当時のままに戻ってきました。
 時代が下がると,子どもに買ってやっていたおもちゃが登場してきます。現物を目にすると,記憶がすっと戻ってくるものです。最後の展示はアンパンマンの指人形でしたが,それを見ても全く気持ちの反応は起こりません。孫でもいたら違うのでしょうが,もう少し後のことでしょう。
 ごくありふれたものですが,よく残っていたという感想でした。おもちゃは一過性のものです。成長につれて,用無しになり,邪魔なのものになって,棄てられるのが関の山です。誰かが意図を持って,残そうとしなければ,消えていったことでしょう。
 話は飛びますが,鹿鳴館という明治時代の著名な建造物がありました。現在,階段の一部が残存しているのみだそうです。歴史で習うほどの建造物ですが,現物は残っていません。終わったものはあっさりと捨て去る習性が,日本の社会には潜んでいるようです。
 先日,必要があって,行政が発行して全家庭に配布している刊行物のバックナンバーを探しました。毎年一冊の発行ですが,手元に保存している年度ごとの広報類を綴っているファイルを引っ張り出して,抜き出していきましたが,4年前の分だけがどうしても見つかりません。役場の担当課に尋ねてみると,あるのかないのかさえも分からないという返事です。念のために,図書館に行ってみましたが,件の刊行物は保存図書類に該当しておらず,お手上げでした。
 定期的な刊行物は,当然のこととして今が旬です。前年度分までは時折引き合いになるという役割もありますが,一昨年分となると無用になります。行政課のほうでも5年が保存期間ですが,広報などの刊行物はその範疇にも入っていないようです。
 いろんな組織活動による提出物や資料は,そのときが過ぎれば流されていく運命にあります。ところが,時代の流れのような大きな時間軸でものごとを見ようとするときには,バックナンバーは不可欠です。歩みを概観したいとき,年月と事柄の系譜は大事なデータになります。今だけしか見ていないと,データは棄てられてしまい,取り戻すことは不可能です。記録物を残しておくことは,未来への大事なメッセージなのです。事務的な処理には,歴史を刻む役割のあることが忘れられているようです。もっとも,他に転嫁するのではなく,自分自身が不完全な資料整理であったことの反省をすべきです。

(2003年11月16日号:No.190)