家庭の窓
|
マスコミの流してくれる情報は膨大ですが,玉石混淆という状態です。身近な場でのおしゃべりの内容が,全国ネットに乗ってばらまかれています。他愛のないものであれば好き好きで済みますが,品のよくないものはご遠慮願いたいものです。他人の懐具合を取り上げて言いふらし,あれこれとつつき回してみせるのは,不快感を与えます。軽犯罪相当かもと思ってしまいます。
年末になると,公務員のボーナスの話題に始まり,民間企業の平均支給額なるものが算出されます。平均以下の者や,ボーナスのない者は,関係ないとよそを向くだけでは済みません。平均以下であることは,ダメなやつと思い知らされ,世間を恨むようにし向けられます。もともと平均とは少数の高額者に引きずられて高めになるものです。大多数のものを平均以下に括り込みます。そんな不愉快だけの情報をことさら取り上げて,何のつもりかと疑いたくなります。
言葉だけでは眉唾物です。ちょっと確かめてみましょう。50が4人,100が1人のときに,平均は75になります。大多数の4人は平均以下となります。このからくりを弁えていないと,平均という言葉に振り回されます。平均の貯蓄という数字も,余計なお世話です。みんながどうなのか,そんなことを知っても無い袖は振れません。
いろんな犯罪がこと細かく手口まで披露されます。ひったくりや女児の連れ込みなども,そんなことができるんだという悪の指南をしているようなものです。あちこちでやっていると報道されたら,やってみようという気にさせてしまいます。悪いことを糾弾しているつもりで,煽っている影響の方が大きくなっています。
知る権利の行き過ぎは,知らなくていい権利を脅かしています。その辺りのバランス感覚を失うことが,単なる品の悪さを越えて危険です。品の良いとか悪いとか,すっかり聞かれなくなった言葉ですが,言葉を失うと生き様まで変わってします。
平均という言葉の意味を理解していないと精神の惑いをもたらす力があるように,言葉を知らないことは人として生きる指針も見失わせることがあります。上品や下品という言葉を復活させようというのではありません。代わるものを持てばいいのですが,格好悪いといった程度の言葉ではフワフワと漂うだけでしょう。
情報社会といわれて言葉が豊かになったように思いこんでいると,言葉の氾濫の中に溺れていきます。何が大事な言葉か,見極められなくなります。せめてそのことだけでも普段から意識しておいた方がいいでしょう。そうすることが,情報リテラシーのスタートラインだからです。
|
|
|