《緊張を 楽しむときに 生きる張り》

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 気がつくと,いつも通い慣れた交差点で信号待ちをしています。「あれっ。今日は違うんだ」。その日は別の場所に行くつもりで走っていました。途中で右折しなければならない所を,いつもの通りに直進して来たのです。修復する道順を考え,通ったことのない路地で予定していたコースに戻りました。
 行動はプログラムを入れ忘れると,いつもの通りに進んでいきます。日常的に繰り返される立ち居振る舞いのほとんどが,慣れた行動であって,細かい指示をいちいち思い出さなくてもこなせていきます。経験はありませんが,酔っぱらって前後不覚になっても,ちゃんと家には帰ってくるということもあるようです。
 引っ越しや転職などで環境が変わると,とても緊張します。それは行動がスムーズに流れていかないからです。いつもどうすればいいか戸惑って,行動にブレーキを掛け,一時停止の連続になります。次はどうすればいいのかと考えなければならないという指示待ち状態です。ぎくしゃくした行動なので,当然気疲れをします。
 ところで,未知の世界に飛び込もうとするとき,この緊張感を予期します。気疲れを厭えば,止めておこうということになります。いつもの通りが楽だからですが,それでは毎日がつまらなくなります。退屈という慣れの症状が現れてきます。楽しいこと,面白いこと,ドキドキすること,それらは慣れた日常からの一時的な脱皮です。そのためには,緊張感を楽しむ元気が必要になります。気持ちの若さというものです。
 面倒だな,そういう気持ちが先立つようになったら,心の老いが始まっています。楽になりたいと思う道の先にはあの世があるからです。自ら先立つ人は楽になりたいと思って選ぶ道です。慣れた暮らしだけでは,生きている喜びはしぼんでいきます。わずかでいいから,緊張を呼び込むように気持ちを高ぶらせておきたいものです。そうはいっても,どうしたらいいのでしょう。
 ちょっと辺りを見回せば,いろんな入り口が開いています。誰でも参加できる行事がどこにもあります。地域の公民館でも招いています。ちょっと出かけてみるか,そう思いさえすれば,身近にたくさんの機会と場が利用できます。何があるか分からないからこそ,ドキドキするものです。同時に,人がやっていることですから,そんなに大変なこともありません。張りのある生き方は,自分の心がけでしか得られません。

(2003年11月30日号:No.192)