《情報は 考えてこそ 深み出る》

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 最近の若い女性の語り口でちょっと気になることがあります。以前は「うそ〜」が何とも馴染めなかったのですが,耳につかなくなってきました。慣れたのか廃れたのか分かりません。それほど流行っているわけではないのでしょうが,「すご〜い」が気になっています。レポーターの会話の中でも聞かれます。
 田舎のおばあさんが元気に鍬を使っていると,そばで見ているレポーターが「すご〜い」。料理番組でも「すご〜い」。ごく当たり前のことに対して,「すご〜い」と言われる方はまごついています。聞かされる方も,「すご〜い」という程のことではないと思うし,そんなことをすご〜いという気が知れません。よほど何にもできないお嬢様気取りで,不愉快になります。
 ごく普通の暮らしの営みを「すご〜い」と言われると,喜べるはずもなく,バカにしているのかとさえ感じることでしょう。それが普通の人の感覚です。都会暮らしの若い女性たちが普通の暮らしの技を身につけていないのかと訝られます。素直な感想なのかもしれませんが,それも度が過ぎていると嫌みになります。ほめているつもりでしょうが,暮らしを飛び越えたとき,見当はずれな物言いになります。
 「すごい」という言葉はもっと重たいものです。気軽に口にするものではありません。一般に言葉が軽くなってきていますが,母親がきちんと言葉遣いを教えてこなかったのでしょう。なぜなら,母国語という言葉を教える役目は母親が担っているからです。テレビから溢れてくる言葉の洪水は,多量であることの宿命として質が落ちています。
 心に響く言葉を選り抜くためには,ゆっくりと心静かに語らうときが必要です。家庭や社会で直接対面し言葉を交わす対話のときがどれほどもたれていることでしょう。情報化社会の弊害は,人から自分で考えることを奪い去ります。人が語ることは流されている情報の受け売りでしかなくなっています。皆が言っている,テレビで言っている,それをさも自分が考えたかのように錯覚するようになります。
 情報の中にある事実までを読み取り,そこから導き出される意見は自分でもう一度考え直してみる気構えを意識して保つことです。テレビから漏れてくる「すご〜い」という感想をそのまま受け取るのではなく,自分だったら「すご〜い」と思うかどうか,感性を働かせるようにすればいいでしょう。いろんな意味で処理されて届けられてくる意見は,個人的なものです。皆がそう感じているかのような思いこみはしないことが賢明です。

(2003年12月14日号:No.194)