《見て欲しい 素直に言える 平凡さ》

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 夫の無関心が妻には腹立たしいということが言われます。例えば,妻の髪型の変化に夫が全く気がつかないといったことが語られます。一緒にいる時間があるのに,妻は自分を見てくれていないと感じてしまうようですが,夫の方はそんなことをという程度の意識でしょう。そんなこと,妻の方は自分の存在がそんなことで片づけられていると直感するようです。
 連れ合いはいつも前もって「美容院に行ってくる」と言って出かけていきます。ですから,髪型の変化は当方には分かっていることになります。帰ってくれば自然にどのように変化したかを見ることになります。似合ってるよ,らしいよなどと感想を向けることができます。夫として助かっているというべきかもしれません。
 連れ合いには,黙って髪型を変えてきて夫が気がつくかどうかを試すような気は全くないようです。お互いが何をしようとしているかあっけらかんと語り合って,お互いの行動を分かり合うことが日頃からの仲なのです。暮らしの中の行動に対しては,全く何の駆け引きもしない平凡な夫婦ということです。そんなことをいちいち言うのかと不思議に思う方は,そんなことを気づかない夫を責めてはいないでしょうか。自分が大したことではないと思うのに,相手からそう扱われると腹を立てるのは,少しばかり身勝手ではないかと思います。
 お叱りを受けるかもしれませんが,女性には「見て欲しい」という思いがあるようです。夫に見られたいと身繕いをしたのに見てくれなかった,そのときの虚しい気持ちは分かります。それなら素直に「見て見て」と言えばいいでしょう。夫に対して素直に言えないというなら,夫婦として円熟していないようです。
 連れ合いの白髪染めをいつもしてやっています。お風呂に入る30分前に,刷毛で染め液を塗り込めます。初めのうちは,全ての液を頭全部に向けて使いきれずに残っていましたが,今では上手に案配できるようになりました。白髪のある頭を開けっぴろげに任せてくる連れ合いを,当たり前のようにすんなりと受け止めているにすぎませんが,なんだかおサルさんのグルーミングのような気分です。一緒に入るお風呂では髪に洗い湯をかけてやるだけですが,一通りの作業を終えます。
 構われたいのに構ってくれない,夫婦の間にある大事な絆なのかもしれません。夫の側も幼い子どもにかまけている妻に対して,関心を示してくれない不満を感じるようです。そうならないためには,できることはお互いに一緒にすればいいのです。連れ合いを一心同体と思い込みたいから結ばれたはずです。素直につながっていればいいのだろうと思いますが,それが簡単そうで難しいのかもしれません。でもやはり,欲を抑えれば簡単なことです。

(2004年01月18日号:No.199)