《ありがとう 言って言われて 仲が良く》

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 連れ合いがまたもや手遊びを覚えてきました。ボランティアの研修会の場でちぎり絵のまねごとを体験したそうで,早速復習しています。手先でコチョコチョすることが好きな人ですが,このところ手持ちぶさただったので,格好のお遊びを見つけたようです。ちょっと絵の具で色を付けたらいいのにとつぶやいているのが聞こえてきました。そういえば版画を彫っていたときの箱に絵の具と筆があったはずと思いだし,夜に倉庫を開けて探し出して,テーブルの上にそっと差し出してやりました。にこっとしてありがとうと言いながらも,気持ちは作業の中です。
 ああしたら,こうしたらと楽しそうです。白い台紙の上にちぎった小片を並べている無邪気な姿を眺めていると,楽しくなってきます。できばえはどうでもよく,何かを産み出そうとする姿はいいものです。自分の世界を持つというのは,大事なことです。連れ合いがいろんな世界を楽しんで,そこにちょっとだけ茶々を入れて,お裾分けにあずかっています。もっとも,連れ合いののめり込む性格は,その後で冷めるという結末が待っているので,永いことはないでしょう。自分の楽しみという限度を超えないせいでしょう。たくさん作っても,使い道がないということもありますが。
 無心になる遊び心を持っていることは,心の健康に必要なことです。いつもちゃんとやらなくてはということばかりに関わっていると,心が疲れます。疲れるとちょっとしたことにイライラするようになり,いろんなものごとを壊したくなりますし,八つ当たりをするようになります。外に出ていると気疲れすることが続きます。人一倍人の気持ちを気遣う連れ合いですから,何もかも忘れてのめり込める遊びを心が求めているのでしょう。思いっきり遊べるように,そっと見守ってやるだけです。
 家庭が気を抜く場所であることは大切です。お互いが重荷にならないように気をつけながら,お互いの安息を守ろうとする思いやりを発揮するだけでいいのです。つかず離れずの間合いを保ちながら,ふっとそばを見ればいつも寄り添っているような形です。その理想はなかなかに難しいことです。その原因は一方が求めるときに他方が気づかないことです。この状況なら相手は何をしてほしいのかという推察をし忘れたり読み違えたときに,小さな波が立ってしまいます。最もそれはそれで,お互いを確認できるチャンスでもあります。気持ちのすれ違いをするからこそ,お互いを分かり合えるようになると考えれば,かえって楽しみでもあります。
 ごめんね,その一言が言えないばかりにこじれてしまうことがたくさんあります。頑ななプライドです。夫婦の間にはそれは無用です。素直になれないようでは,夫婦であり得ないからです。最も気を許しあえる仲であるはずですから,大概のことは許していいのです。感謝と許しがあれば,平凡に仲良く暮らせると思っています。

(2004年02月15日号:No.203)