《汚れ落ち 溜め水使い 見えてくる》

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 春一番が吹きました。風邪は強めですが,良いお天気でした。夕方になって,ボランティア講習会に出かけている連れ合いの出迎えのため,車に乗ろうとしたらホコリまみれです。朝はそんなことにはなっていなかったのにとビックリさせられて,風の影響を思い知らされました。時間もないために,そのまま乗っていきました。
 翌日は快晴の日曜日で,朝から連れ合いと家の掃除です。掃除機及びダスキン掛け担当をこなし,玄関の掃き掃除をしているときに,車の土埃を思い出しました。掃除の勢いのままに,車の水洗いです。こびりついているわけではないので,あっさりとした作業で済みます。黒く汚れたぞうきんをバケツの水で洗っていると,みるみる水が汚れていきます。何回か水を換えていくと汚れの度合いは薄まっていきます。
 単純に雑巾タオルを洗って水の汚れを見ながら,癖が出てしまい,プロセス分析をしてしまいます。水が汚れてくるということは雑巾の汚れが落ちていることです。水を取り替えて,水が汚れなくなるまで洗えばいいということになります。お米を研ぐときのプロセスと同じです。誰でもやっている作業に過ぎません。この作業を蛇口からの流し水でやっているとしたら,と考えてみます。水が汚れてもすぐに流れ去って,汚れ水は目に留まりにくくなります。雑巾の汚れがどこまで落ちたかを見るしかありませんが,雑巾自体が多少汚れているために,これでいいという目安は曖昧です。
 バケツに溜めた水では,取り替えることで水の汚れが見えなくなったらお終いと分かります。そこで一つの結論に達します。動いている現象を見届けるためには,止めてみることだということです。溜めた水は止まっています。その繰り返しの変化を見れば,雑巾の汚れの落ち具合が見届けられます。数学的には微分という操作に相当しますが,算数で言えば観測結果をグラフに書くという判断方法になります。
 小難しい展開になりましたが,日常の暮らしに話を戻すことにします。人は毎日変わっていきます。その変化は連続しており,当の本人も周りの人も気がつきません。ところが,久しぶりに出会った人の変化はすぐに分かります。変化を止めて見ているからです。アルバムを開くと,自分の変化も見えてきます。写真は変化を止めて記録するからです。記録するという作業は,そのときそのときを止めておくことで可能になります。いつでも同じと思って留め置くことをしていないと,結局は何も見えてこないことになります。
 連れ合いは養成講座という機会をやがて終了することでしょう。修了証があれば,今を留め置くことができます。その目安があれば,その前と後での成長という変化が自覚できるはずです。物事を見て考え判断するという営みは,変化を止めるということから始まります。一気に結論までスキップすれば,知恵や情報は止まっている事柄の集大成なのです。春一番の置きみやげをきっかけに,少しばかり物思いをしてみました。

(2004年02月22日号:No.204)