《情報の 旬を見分ける 腹の虫》

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 最近,必要があって新聞の切り抜きを再開しました。求めるのはシリーズ記事なので連続して切り出せばいいのですが,ついでに全紙面を眺めてしまい,他の記事も切り取っていきます。日付印を記して,積み重ねてファイルに収めていくだけです。整理をしようという余計な手間は掛けません。そんなことをしていると面倒であり,結局永続きしなくなるからです。でも,整理しないと使いにくいのでは?
 新聞の記事には旬があります。賞味期限のうちに必要が出てくれば,大した量ではないので探すのはそれほど苦にはなりません。旧くなると期限切れということで,使う機会もなくなり,記事の存在すら忘却されます。そうなれば廃棄です。いつか役に立つだろうといった長期保存が役に立った試しはありません。倉庫の奥にしまい込んだものは死蔵されているのと同じです。切り取るときに確認のために一度は目を通しているので,それで充分だった記事もあるということです。
 読書にも,積ん読というのがあります。いつか読もうという思いで購入しても,本棚に積まれたままになる本があります。本の場合は背表紙が索引になりますので,時間が経ても検索に掛かります。本の賞味期限はかなり長いし,目を通してもいないので,きちんと並べておく程度の整理はしておく必要があります。ただ本棚がいっぱいになると,たまに耕しておくことが必要です。陰に隠れた本を表に引き出して,目に曝すようにすると,本が生き返ります。
 テレビ番組の録画をする場合があります。連れ合いが観たい番組の放映日にお出かけするときなど,ビデオ録画を頼まれています。複数の番組が重なるときなどにも利用します。こちらはテレビには背を向けているので,滅多に必要性はありません。たまに視聴しているときに,気になる情報をメモをする程度です。以前は録画することが面白いという程度の興味で,録画したビデオテープを並べたこともありましたが,結局見直すこともないままに過ぎていき,興味も薄れてしまいました。
 最も利用している情報収集法は,メモを取ることです。要点だけを一行程度にまとめておきます。それはほとんどキーワードといっていいようなものです。内容としては,講演や会議のネタに使えそうなものや視点の意外性などです。使い古しの用紙の裏にメモを取り,数日間目に入る身近に置いておきます。何度か見ているうちに,気にならなくなるものと,引っかかってしまうものに分かれます。面白さが薄れていくものと残るものと言ってもいいでしょう。残るものだけをデーターファイルに保存しておきます。
 人一人が使いこなせる情報はたかがしれています。どんなにうまい料理でも,腹一杯以上は食べられないのと同じです。同時に,食べ置きもできません。一日一日食べるしかありませんし,明日は明日の料理が出てきますし,好みも日々揺れ動いています。今一番食べたいもの,それを味わっておけばいいのです。そう考えて,多様な情報ネットワークから美味しそうなものだけをつまみ食いするようにしています。情報の提供は今日だけではないのですから。

(2004年03月14日号:No.207)