《人も地も 凸凹わきまえ 円満に》

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 人と会えば,まずは時候の挨拶です。「いつまでも暑いですね」の言葉が行き交います。休みの日は「よくぞ男に生まれける」という姿で風鈴の音に涼を託しながら,勤め先の冷房が月曜日のせめての楽しみと思い定めています。
 この世は凸凹であるという真理に従えば,足してゼロが当たり前です。冷房が凹であれば温暖が凸です。大都会ではコンクリートの中に涼を閉じこめています。ということは,外は暑でなければ辻褄が合いません。冷房機とは,外に温風を造り出すことによって内に涼をもたらす温度分離器です。涼しさは副作用として世間を暖めています。都会のヒート現象であり,過度に密集すれば隣接地の気候を変えてしまうほどです。温度の垂れ流しに気配りをしましょう。
 車からタバコを捨てる不届きモノがいます。あえてモノと書きましたが,「聖者が街にやってくる」に使われる「者」の字に相応しくないと感じているからです。小さな迷惑は人目に付きやすく,目撃すれば憤慨することができます。ところが,皆がやっている温度を捨てる不届きは大きすぎて,気づきにくいものです。何しろ温度とは目に見えません。悪気はないからと済ましているわけにはいきません。冷房の効いた会議室で地球の温暖化を議論しているようでは,いつまでも他人ごとのままです。
 文明化を爛熟させた進歩が凸であるなら,環境の破壊が凹であるということになります。快適な暮らしは程々にしておかないと,地球という屋台骨を腐らせていきます。そのツケを子どもたちに残そうとしている社会は,親世代としての資質が失われた社会として,静かに朽ちていくことになるでしょう。30年先のために何もしようとしていないだけではなく,自然界の借金地獄を現出した暗黒時代として名のみを残す羽目に陥りそうです。
 子どもを生まず育てず,よい子孫を残そうとしない種は絶滅します。動植物の絶滅種とは人がもたらした災禍ですが,その怨霊に取り憑かれて自滅しようとしています。恐竜が忽然と消えたように,人も静かに滅しようとしています。・・・夏の夜の小さな怪談です。

(2000年08月27日号:No.21)