《引き際を 弁えてこそ がんばれる》

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 3月から4月にかけて,年度が替わります。いろんなところで人の移動があります。別れと出会いがあります。別れは悲しく,出会いは不安です。せっかく気心が知れてきたのに,また新しい方とのやり直しです。若いときには出会いが新鮮に感じられますが,年配になると億劫になるという方がおられます。人との関係構築はかなりエネルギーを消耗するからでしょうが,その背景には頑固さが強くなって気持ちの柔軟さが失われるという事情も見えます。
 年度替わりで,人との別れ出会いだけではなくて,役を辞す人,役につく人がいるでしょう。いろんな組織では定年や任期が決められていて,意図的に人の更新や移動が図れています。馴れ合いによる活力の低下や,保守的な淀みが生まれることへの対処です。新しい風を人事刷新という動きによって組織に注ぎ込む方便です。あるポジションに居座れば,熟達してきて,いわゆる主になれます。メンタルな面では,頼りにされる喜びと,自分が居なければ皆が困るという自負心が身に付きます。しかしながら,気をつけないと,その甘美さに誘惑されて,心の肥満化が進行し,無惨な姿に様変わりします。ワンマンという形態が敬遠されるのは,是非は別にして,腐敗のリスクを嗅ぎ取るからです。
 いわゆる役付の立場にいる方の中には,あの人にはそれが生き甲斐だからと大目に見てもらっているのに,居座っていられるのは自分の力が秀でているからだとかんちがいしている御仁がいます。本当はもっとバリバリ働ける方と替わって欲しいと思われているのに,気がつかないのです。周りの空気を読めなくなっていることが,既に賞味期限切れです。いい気になっている方に対して,誰も引導を渡すことはしたくありません。小さな思いやりが,組織のリフレッシュを阻害していきます。
 組織の役職を私してはいけないというけじめをつけられないのは,軽いぼけの症状かもしれません。代議士の定年制という話も出ていましたが,まだまだ元気であり,やりかけた仕事を最後まで見届けたいという我執を信念と誤魔化すタヌキぶりはお笑い種です。役職は誰でも務まります。務まらなければ役職とはならないからです。役職に就いた人が最も心すべきは,役職は自分のものではないということです。役目柄だから仕事ができているに過ぎません。例えば,社長,会長でありさえすれば,名前は誰でもいいのです。辞めればただの人と言われるのは,ただの人が役目というぬいぐるみを被っているからです。
 役職というのは,周りの方に持ち上げてもらっていることによって成り立っています。ところが人は弱いもので,その支えを自分の力で引き寄せていると錯覚するようになります。その偽信は偽薬と同じである程度有効ではあるのですが,常用すると副作用が出てきます。下世話に言うのぼせ上がりです。そこで組織の健康上,そうなる前に任期という制限でお払い箱にする必要があります。惜しまれて辞するということが花道であるという慣例は,皆にとっていいことなのです。

(2004年04月04日号:No.210)