《人一人 足るを弁え 穏やかに》

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 連れ合いが黒鉛筆のようなものを化粧ポーチから取り出して,カミソリで芯を削り出そうとしています。顔剃り用のカミソリなので,うまく削れません。ゴリゴリの削り面になっています。見かねて小引き出しから鉛筆削り用のカミソリを取り出して,子どもの頃にやったことを思い出しながら芯出しをしてやりました。このカミソリは小学生時代に鉛筆削りに使っていたものです。木やタケで小細工をするときに使うつもりで,転居の度に引き出しの中味として持ち歩いてきたものです。
 車のキーにつないでいる鎖は,小学生時代に母に無心して買ってもらった鎖の名残です。Cの字型の留め具はとっくに失ってしまいましたが,本体の鎖は持ち歩いています。メッキは既にはげ落ちて地金の真鍮色になったみすぼらしいものですが,新しい鎖に替える気はなく,50年以上のつきあいです。母とつながっているような安堵感を味合うという殊勝なことなどではなく,なんとなく普通に使い続けて来ただけです。大して意味はなく,思えば長いつきあいだなあといったところです。
 子どもの頃にチャンバラごっこのために手づくりした十手もあります。ガラス戸の古いレールを切り取って本体にし,太めの針金で鈎を作り,細い針金を密に巻いて止めた代物です。化粧のつもりでテープをぐるぐる巻きにしています。御用御用と捕り物ごっこをしたものです。その他に小学時代のハーモニカや中学生時代の物差しなどはときどき使っています。ケチとか物持ちがいいというのではなく,普通に使えるものを残してきたに過ぎません。単純な道具だから生き続けます。
 携帯電話は子どものお下がりを使っています。最近の道具は機能寿命が短く,数年も保ちません。十分に使えるのですが,機能が旧くなっていきます。電話でありさえすればいいのですが,iモードやカメラ付きなどの付加機能の追加で旧式というレッテルが貼られて,保守ができなくなっていきます。廃棄せざるを得ない状況に追い込まれ,その挙げ句にリサイクルという循環に放り込まれ再生復活が求められています。道具を弄んでいるような気がします。ファストフードからスローフードという転換が言われていますが,ファストライフからスローライフへの回帰も必要になってきたようです。人本来のペースが乱されているのではと感じるからです。
 スケールメリットという言葉があります。大きいことはいいことだと昔は叫ばれていました。暮らしの場ではまとめ買いをすると安くなるということです。元々は大量生産をすることでコストが下げられるという経済効果を表していますが,様々な分野に波及しました。国際化や情報化もスケールメリットの方法なのです。食品を世界中から仕入れるようにすれば,安いものが手にはいるということです。スーパーも大きくなるほど大量仕入れにより廉価販売ができ,大きな駐車場でたくさんの客を集めることができます。個人店舗はスケールの狭さにより競争力を失っていきます。
 スケールが大きくなると,リスクも当然増えてきます。大企業のミスは膨大な範囲に影響を及ぼします。牛や鶏の病気が巨大な市場を揺るがすのは,巨大スケールで動いているからです。豊かになって多様化が求められるとはいえ,どこに行っても同じ町並みしかない社会,誰もがブランドに頼る均質な装い,よってたかって共感し合うゴシップ的な関心が跋扈する中では,とても望めません。人が生きていける社会のスケールをはるかに越えた社会が実現されたようです。
 人は欲張りです。他人と同じでないと不安になりますが,同じであると不満なのです。不安要素の方が強いので,先ずはみんなが豊かになることを望み,スケールメリットを生かしてきました。時代は不満の解消に向かっていますが,それが個性化などの違いへの願望であり,その大きなうねりが地方の活性化といった施策に反映してきました。個人的には身近な暮らしの中にある豊かさという名の肥満要素を見つけたとき,不満は解消できるはずです。

(2004年04月18日号:No.212)