《借り物で 飾って見せても 足が見え》

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 このところ殺傷事件や強盗事件の報道が途切れません。スーパーマーケットに連れ合いと出かけると,そこには普通の暮らしが溢れているように見えます。このギャップを意識の上でつなげておかなければならないというのは,かなりしんどいものです。人を見たら泥棒と思えという警戒心を解除できないのは,鬱陶しい気分を抱えることだからです。しかしながら,現実には未だに恐ろしい目にあったことがないのは,僥倖でしょう。今後のことは分かりませんが。
 人の心には妬み,嫉み,恨みという邪心が潜んでいます。これはあいつと比べて自分は報われていないという負の比較感情です。自分の中にもあるこの気持ちを抑え込むには,自分を他と比べないことです。自分に要りようなモノやコトを厳選し,余計なモノやコトを極力排除することです。自分を人と比べて見るのではなくて,自分自身を見ていれば,人がどんな暮らしをしていようと気にはなりません。自分は自分であればいいのです。
 ところで周りの人にある妬みなどが自分に向けられたときが危険です。外車に乗っているから金があるだろうとねらいをつけられて殺されるという事件は典型的です。見栄を張るという余計なこと,高価なモノを持つことで自らを飾り立てるという見せかけ,それは品の良くない劣情です。見え透いた心根が周りの人の妬みなどに火をつけ,その火の粉は逆風に乗って襲いかかります。あなたより高価なモノを持っているよという見せかけは種火をまき散らしているようなものです。平凡に,ありきたりで暮らしていればいいのです。高価なものを持てるということは,余計なことをしているに過ぎません。
 すっかり廃れてしまいましたが,品の良さという佇まいがありました。それは煌びやかさではなく,人の気持ちを安らげ和ませる風です。けばけばしさが成り上がりという不似合いな様であるのは,人の劣情の裏返しに過ぎないからです。高慢さが妬みや恨みを引き出します。豊かさをモノの過剰,高価な希少価値,豪華な贅沢品,そんなモノでしか実感できない未熟さがあります。それがどうしたという大人の目にはひとたまりもないはずです。心の未熟を感じていない大人が増えてきたから,世情が物騒になってきたのでしょうか。金が欲しいという浅ましさを恥と思わない下品さが跋扈しているというのでしょうか。周りにいる方にはそんな品のない方は見当たりません。いい人に囲まれて,心穏やかに暮らしていることはありがたいことです。

(2004年04月25日号:No.213)