家庭の窓
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あるプロ野球の球団が他球団の4番打者をかり集めて,史上最強の打線と謳われているようです。実のところは,名前倒れのようです。子どもの頃に草野球をやった程度の経験しかないので大層なことは言えませんが,そんな素人にはその球団のチーム作りは何か違っていると感じられてしようがありません。二つのことが気になっています。チームとしての構造と,4番打者の心意気のあり方です。
チームは異能の組み合わせによって安定して機能する組織力が備わります。4番打者は一人ですから,その他の4番打者は3番とか5,6番に位置づけられます。そのポジションでは求められる役割が違っています。それはただ単にヒットを打てばいいという役割ではありません。連携することで一枚岩となった打線でなければなりません。組織は1+1が2以上になるものであるのに,4番打者を並べたら2以下になります。4番打者は3番ではないからです。役不足になります。
4番打者の心意気もしぼんでいきます。各チームで4番を勤めるとき,4番を背負っている自負心,自分がやらなければ誰がするという気概を燃やしているはずです。任せておけという意気です。ところが4番打者ばかりが集まると,打てなければ降格される,ピンチヒッターでしかない,打てないと試合にも出られない,あらゆる面で追いつめられた心境に置かれます。そのような状況では,打つことへの集中力が散漫になり,よい結果を出すどころではなくなります。
確かに意欲を駆り立てる方策として競争は有効です。競わせることで選手の技量の向上も期待できますが,それにも程度があります。やりすぎては逆効果です。それよりも,任せるという信頼が人を向上させるものです。任されているとがんばれるという心の機微を知るべきです。競争は信頼していないということです。勝ったものという選び方は,誰でもいいということですから,信頼関係は生まれようがありません。信頼されていないのに,頑張ろうという気は起こりません。
プロの仕事ですから,金で動く,動かせるという面もあるでしょう。しかし人はそれだけでは動き続けられるほど機械的ではありません。野球もやはり人の心がこもっていてこそ,選手が気持ちよく活躍できるはずです。
もう一つの心配も追加しておかねばなりません。4番打者と活躍している人は,そのときが旬だということです。ある期間活躍しているときには,潜在的に旬を過ぎているということです。手厳しくいえば,中古なのです。実際には,今ひとつの選手こそが,旬に向かって上り坂にある選手です。めざましい活躍を見せる選手たちは,そういった選手であることは,見ていればわかります。盛者必衰の原則は,選手生命の短さの中で,もっと顕著に現れてきます。
素人談義ですが,プロ野球の事象を自分なりに納得したくて,あれこれ考えてみました。いろんな組織の活性化についても同じだと思います。例題として,ご笑覧ください。
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