《他人事を 決める役職 気を抜かす》

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 なにかしらのものごとを決める権限を持つ人は,一つの覚悟を深く忍ばせておかなければなりません。武士の覚悟というものに似ているかもしれません。武家の子女でさえ帯の中に懐剣を携えていました。社会的な決定をする立場は,ここ一番という局面では自分に刃を向けている気構えで望まなければなりません。
 公的な組織の怠慢運営が取りざたされています。運営の目標はあくまでも公共の至福を標榜していますが,冗長な運営形態と曖昧な手法で臨むために,目標半ばにして破綻してしまいます。目的が正しいだけでは,ことがうまく運ぶようにはなりません。目標と手段の選択は同程度にきめ細かな手配りや気配りを重ねた上で行うことが必然です。いいことをしていれば,なんとかなるといういい加減さは,無責任です。そうなる背景には,決定する者に責任を取るという覚悟がないからです。巷間にいわれる,人の金だと思っているという指弾は,自らの決定に際して切っ先を自分の胸に突きつけていないという臆病さを見抜いています。
 最近の関心事として,市町村の合併という動きがあります。この変動に対して手続き上の決定権を持っている首長及び議員は,自らの決定が真っ先に自分に向けられているというジレンマに直面します。合併を決すれば,自らは失職の憂き目に会います。自傷行為が回避されることになると,合併の決定はなされなくなります。そこで,身の安全を保証する特例措置,合併後2年まで在任が可能になっています。同時に,議員報酬の格差があることから,均一にするために平均しようとすると,半分は目減りすることになります。これも合併に対する否決につながるとみなされ,高い方に合わせるというお手盛りが考えられています。
 合併することのメリットとして,行政職員や議員の定数縮小が期待され,人件費分の歳出が削減されることがあります。それが一時的とはいえ増額になることには,住民のNOが表立ってきます。周南市では議会の解散が実現しました。公職にある者が自らの身を守ることを公然と行う破廉恥さには,穏和な住民もさすがに厳しい批判を向けます。滅私奉公という極端さは求めないとしても,身を捨ててくれる,そういう気概に頼るから決定を委任してきたのです。武士の潔さ,それが決定権を持つ者に求められるイメージなのです。公を優先する覚悟が信頼を得てきた基盤です。そのことをいい加減にしては,決定に胡散臭さを被せることになります。
 決定権を付与されている役職は,その任に就く者に厳しい自制力を求めます。その自覚を失ったとき,地位にしがみつこうとする浅ましさが露呈します。本人にはそのつもりがなくても,傍目にそう見えてしまうという怖さがあります。長期に居座っていると,人の見る目が変わってくるのです。惜しまれて去る,引き際が肝心というのは,役職における最も大事な心構えです。

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(2004年05月30日号:No.218)