《なけなしの 手間と暇とを お大事に》

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 人の時間の感じ方には,一つの癖があります。人の時間を頂く場合には,その機微を弁えておいた方が無難です。社会的生活をする際には人との関わりがあり,そのためにお互いの時間を費やすことになります。よく言われることは,電話を掛けるとき「今よろしいですか?」という先方への断りをする礼儀です。電話は理不尽に飛び込んでいくので,先方の都合,つまり時間の流れを中断して掠め取るのですから,それ相応の気配りが当たり前ということです。
 時は金なり。つまり,時間には価値があります。ということは,損得勘定が成り立つということです。時間を自分のものにできるときはうれしいのですが,時間を取り上げられることはうれしくありません。会議や行事に出席する場合,自分の時間として意識できたらいいのですが,普通は時間を付き合い上割かねばならないことの方が多いでしょう。そこで,自分の時間を少しでも取りたいがために,開始時間に遅れがちになります。三々五々と集まって,開始時間が遅れることになります。
 ところが,そろそろ終わりという雰囲気が意識されてくると,奪われた時間を早く取り戻したいという気持ちが高ぶってきます。落ち着かないので,その場の内容が上の空となり,全体が白けてくるようになります。終わりよければすべてよしということですが,早めにスパッと終われば,喜ばれます。そのためには,仕掛けをしておかなければなりません。集まり事では終わりの時間を明示しておくのです。予め何時までは仕方がないと引導を渡して観念しておいてもらいます。その上で,その約束された時間のたとえ5分でも早めに終了するようにします。出席者はニコニコして散会することができます。よそ様を訪問するときも,予め必要な時間をはじめに伝えて,早めに切り上げれば必ず喜んでもらえるはずです。
 自分の時間は一通りにしか使えないという絶対的な制限があります。忙しい社会では,人は時間を惜しみます。その気持ちが強いあまりに,時間の使い方が下手になってきました。自分の時間を大事にしすぎて,結局のところ窮屈な思いをしています。例えば,自分の空間を完全に自分だけのものにしようとして壁を張り巡らし,ついには閉じ籠もることになり,窮屈になってしまうのと同じ轍を踏んでいます。
 人がなぜ社会生活を営んでいるのかという意味は,限られた時間と空間を自分だけのものと切り取るよりも,多少融通無碍にやりとりした方が,お互いの時間と空間にかえってゆとりが生まれることにあります。共生することによって,お互いが孤独な状態よりも多くの時間と空間を手に入れることができるのです。みんなでやれば物事はあっという間に終わるのです。わがままな独りよがりの態度が敬遠されるのは,時間と空間の共同出資社会を乱すからです。人の時間を頂く場合には,無償であるなら,せめて気持ちよさで報いられるように心掛けてみませんか?

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(2004年07月11日号:No.224)