家庭の窓
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プロジェクトXというNHKの番組があります。テレビのリモコンは連れ合いが掌握しているので,ときどきしか視聴できません。リーダーたちがギリギリの局面で発した言葉が,チームの底力を引き出した事例が語られています。それぞれのケースから具体性を拭い去って骨格を眺めると,リーダーの言葉は「これと見定めた目標に向かって無心に進むのみ」という覚悟を表明しています。
「これと見定めた目標」は,感動という心の動きです。それは理屈で導き出された目標ではなく,直感とでも言えるものでしょう。すべての開発は感動から始まる,何かに感動したら没頭しろというリーダー,惚れ抜け,五感のすべてがなすことを教えてくれるというリーダーの言葉がありました。「無心」とは,結果は後からついてくるという神の手への委任です。ですから,人ができることは今現在を大事にすることです。発想は思いついたときが勝負というリーダーの言葉がありました。「進む」とは,時間と能力を注ぎ込むことです。これでいいということはない,研究を続けるというリーダーもいました。
人は今関わっている仕事をただ全力でなそうとすればいいのでしょう。創造的な仕事をどこかよそに求めるのではなく,今の仕事の中から見つける心の余裕があれば,やり甲斐という喜びが浸みだしてくるはずです。やり甲斐のある仕事を求めようとする向きもありますが,どんな仕事の中にもやり甲斐の種は埋め込まれています。ただし,やり甲斐を先に求めても,そこには殻に包まれた小さな種しか見つからないでしょう。やり甲斐の花は仕事ぶりの栄養を注ぎ込むことで開花するからです。
人は賢くなりました。仕事の質を見極めることができると思い,価値ある仕事をしたいと望むようになりました。仕事に価値の有無があるかのようです。おそらく格好いいとか悪いとかといった,人の目にどう映るかという程度のことに過ぎず,仕事の表面的な部分しか見ようとしていません。仕事である以上既に価値あるものであり,やっている者自らが価値を見つけてやるべきです。仕事一途という鈍重さこそが,本当に仕事の価値を弁えている姿です。
一文の得にもならない仕事もあります。そんなバカなことにうつつを抜かして,間抜けなことです。それができる人がいるから,この世間は温もりがあります。今風の言葉で言えばボランティアはその良い例です。傍目には物好きな仕事に思われるはずです。このところ,その一文にもならない仕事を次々に引き受けていますが,我ながら何をしているのかと思うときもあります。大それたプロジェクトというほどのものではありませんが,仕事に没頭する楽しみを感じているだけです。
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