《やるせない 資金不足の 声ばかり》

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 金の世の中? 野球選手,サッカー選手,タレントなどの年俸,長者の資産から,まちのお嬢さんの装いの値段まで,人の懐勘定をして見せてくれます。そんなに気になることなのでしょうか? 縁もゆかりもない人たちがどれほど稼いでいようと,こちらには何の関係もありません。そうですか,それで?といった対応しかできません。やっかんでいるのかなと自省してみますが,どうも人の懐具合をのぞき見することに無粋さを感じるだけのようです。
 社会活動の動きを見ていると,根っこの部分に金の流れがあります。補助金が出たから活動をしようというのが大方の現実です。政治的な配慮,人気取りの陰謀により補助対象事業の変更が行われると,それまでの活動はあっさりと打ち切られます。何かを始めようとしても,補助があるのかということが決め手になります。人の金で相撲を取ろうという活動は,社会活動ではありません。手出しをするから自分たちの活動という意識になるはずです。
 子どもたちの思考も,金がなければという前提から始まっています。無ければ盗ってくるしかありません。どこにあるか? ママチャリの前カゴや,女性のハンドバックの中,コンビニのレジにあります。金を使うことしか考えられないのは,世情の空気なのでしょう。かつて勤務先の公的な接待費を転用していた時代もありましたが,その旨みが無くなると共に5時以降の飲食付き合いが激減しています。金の切れ目が縁の切れ目です。
 世間には美味しいところ取りをする人がいるものです。人が苦労して作り上げたものをいともあっさりと持ち逃げしていきます。お金であれば泥棒なのですが,労苦であれば法的な窃盗とはならないので,後ろめたさを感じないようです。いっそのこと人のあらゆる手間暇もいくらになるという金銭換算を突きつければ,解決するかもしれません。それではあまりに大人げないですから,現状では,教育という営みや啓発,体験といった仕組みを作ることで凌いでいるようです。
 お金は寂しがり屋です。だからお金のあるところに集まっていきます。チリも積もれば山となるという諺がありますが,小さくても種になる金を作ればやがて集まってくるもののようです。この知恵を信じて,わずかでもいいから手出しの資金を用意して活動を始めていけば,やがて補助という支援が集まってくるようになるということになります。お金は追いかければ逃げていきます。お金の方からすり寄ってくる仕掛けを作らなければなりません。

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(2004年08月15日号:No.229)