《広く見て 遠くを思い 深く聞く》

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 ことさら頑丈でもなく体力面では劣等生であったのですが,全く病気はしたことがありません。風邪で熱を出して一晩寝込むというのは数年に一度ぐらいありますが,いたって健康です。もちろん,最近では無理を避けて休養などの予防には気をつけています。病みを知らないのはいいのですが,連れ合いが身体の不調を訴えるとき,どのような痛みや気分の悪さかが思いやれずに困ってしまいます。代わってやれないことはもちろんですが,分かってやれないのも悔しいものです。
 一病息災という言葉は,自分の肉体的健康に関する教えですが,精神的な健康にも適用できるのかもしれません。お産の苦しみを分かりようがないのは仕方がないとして,人の痛みを体験できないのは良いことずくめではないようです。人は何かを我慢して生きていてこそ,優しくなれると考えれば,無理して不摂生をしなければならなくなります。でも自然でないのはよくないので,成り行きに任せようと思っています。時期が来れば大病に取り憑かれることでしょう。
 形あるものは壊れるものです。生々流転の行き先は静寂の世界です。動物のザワザワした機能は停止していきます。動けなくなると病となります。正月は冥土の旅の一里塚と詠まれた通りに,長く生きていることは壊れていく道筋です。連れ合いと道連れにゆっくりと静かな世界に辿り着けたらいいなと願っています。
 今週はお盆です。先に旅立った肉親を迎え,一緒に生きることを語り合う厳粛な期間です。一連の作法に従って雰囲気を作っていけば,心の対談が始まります。悩みをぶつけてみると,無理押しすることなく自然に生きていけばいいという声が返ってきます。何もしないでなすがままというのではなく,小さな一つひとつに心を込めて向き合っていこうとすることです。使ったらきちんと片づけておく,おもてなしを受けたらできるほどのお返しを置いてくる,相手の疲れを分担して軽減することなど,ちょっとしたことの積み重ねが,心を通わせるだけではなく,身体をこまめに動かすことになり適度の運動量を与えてくれます。
 一石二鳥,転んでもただでは起きない,損して得取れという暖かながめつさが,お互いに配分されるとき,物事はよい方に転がっていきます。その裏表が自然の姿なのですが,人は往々にして片面しか見えないことがあります。あいつばかりが得していると,一面的な見方に留まるのです。自然は決して不公平ではありません。よく見極めれば,必ず両面があるのです。得していればどこかで損をしていますし,損したと思っても得を呼び込むためであったりということです。
 一面にとらわれると,妬みや僻みや嫉みの病に罹患します。バランスを欠いたこだわった見方や考え方をすると,不自然な気持ちが呼び起こされてきます。心を自由にして広く深く遠くを見つめるようにすれば,安らかな気持ちが手にはいることでしょう。そうなりたいものです。

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(2004年08月22日号:No.230)