《願いとは そうでないから 口に出る》

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 新聞を見ていたら,この頃ステテコなるものを女の方もお穿きになるそうで,それなりのオシャレなものが出回っているという囲み記事が写真入りで報じられていました。おじさんのファッションも取り入れるという柔軟さとは違って,実用性が効いているのでしょう。女性は男性専用領域にすんなりと入り込んでいきますが,男性はどうにも保守的のようで,まさかスカートを穿くといったことは思いも及びません。スーパーで荷物持ち担当をしているとき,連れ合いが女性下着売り場に入ると,さすがに連れ立って入るのは憚られます。そんなことをことさら意識するほうが妙なのでしょうが,目のやり場がないからです。
 夏になると女性は薄着になります。男の目線を引きつけてしまいますが,見つめると間違われるという気遣いから,結構苦労しているようです。見られて騒ぐくらいなら,そんな格好をするなというおじさんの声も聞こえてきます。それとなくというお互いの了解で止めておいたほうがよろしいのでしょう。
 ところで,スカートですが,夏場はいいとして,冬場は寒いはずなのに,女性はよく我慢できるものと昔から不思議でした。女性を体験したことがないから分かりようもありませんが,どうも身体の仕組みが男女で異なっているせいのようです。男性の2倍以上ある皮下脂肪がコートの代わりをしてくれるからだそうです。冬山登山で遭難した場合でも女性より男性のほうが早く凍死するとか,海に潜って魚をとる海女さんが女性の仕事であるのも,女性が寒さに強いからです。
 さらに,女性は寒さだけでなくて,実は暑さにも強いのだそうです。身体が変わるというのです。夏痩せです。動物の例でいえば,ニワトリではオスは年間を通して体重がほとんど変化しないのに,メスは夏になると脂肪が落ちてやせるということがあります。人間でも,女性の身体は夏は涼しく,冬は暖かく保つことができるような仕掛けを秘めているのです。この男女の不公平さは,種族保存の目的から,子どもを産む性に与えられた特権であり,長生きしなければという天の思し召しなのです。
 昔から男はたくましく女は優しくとしつけがされてきました。これは男女差別であるという認識が一般化しているようです。敢えて,「でも,〜」と言ってみたい気がします。何故,男はたくましく女は優しくと言われなければならなかったのかということです。かつての社会生活上の要求として,働く男と支える女という構図が生んだ性差の分業であったというのが一般的な理由付けです。当時としては,そうせざるを得なかったと考えれば,それはそれとして過去までもとやかく言うべきではないでしょう。今も昔も変わらず,男性は力はあるが生命力に乏しく,一方で女性は力はないが生命力は旺盛です。早死にする男にはたくましく生き延びて欲しい,長命の女には優しさを持って生きながらえて欲しいという願いが根底にあったのではないかと思います。有り体に言ってしまえば,男は弱いからたくましく,女は強いから優しくという幸せになるための目標を設けたに過ぎないということです。
 男はたくましく女は優しく,それは決してお互いを型に嵌めようという陰謀などではなく,そうあって欲しいという素直な願いであったことでしょう。人に言われることを嫌うあまり,人の素直な願いを策略だと勘違いするのは,人として悲しいことです。人のことなど無関心であり競争相手か利用できる者としか見られない貧しさがとても気になります。貧しい目で見れば,どんなに意味のあることでも,貧しく見えてしまうものです。

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(2004年09月05日号:No.232)