《暮らしには 不意の用事が 隠し味》

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 用事というのは,どうして次から次へと湧いてくるのでしょう。人間関係の中に生きていると,いろんな方とのお付き合いが絡んでおり,そこから不意に用事が紛れ込んできます。閉ざしておけば面倒なことはシャットアウトできますが,それでは孤立してしまいます。つまり,こちらからのつながりも途切れることになります。お互い様というのが,付き合いの双方向性を保証しています。
 長蛇の信号待ちをしているとき,脇道から流れに割り込んでくる車があります。控えめであれば,譲って前に入れてあげます。無理矢理という車は入れないようにすることもあります。感心したことではありませんが,礼儀知らずには礼儀知らずで接するほうがよろしいのかとも思っています。ところで,信号が青になり進んでいくと,先ほど入れてあげた車が黄色信号をすり抜けていき,こちらは赤信号でストップです。前車を入れなければすり抜けられたのにと思うと,二重に損したという気持ちが湧いてきます。了見の狭いことですが,凡人の日常的感想です。世間のお付き合いとは,面倒なものです。
 このところ斎場に出かける機会が続いています。夫婦でそれぞれにご縁のある方とのお付き合いです。順送りの場合にはまだしも,逆送りの場合には親族の方の悲しみを思うととても辛い気持ちになります。以前にこちらの時においで頂いた方かどうか名簿を見て,失礼のないように対応するという気配りも必要です。直前になって連絡を頂いた場合には,あたふたとし文字通り取るものも取りあえずということになります。ご縁をつないでおくのは礼を尊ぶことの一つです。
 ピンポンという呼び出し音にインターホーンを取ると,宅配便,郵便小包などのお届け物,新聞や掃除具の集金,回覧板や町内会費といったご近所関係の訪問があります。もちろんのこと招かざる客ではありませんが,予定していないときに来られます。必要な生活上の付き合いですから,笑顔で応対することになります。暑い夏は人に会える格好はしていませんので,ちょっとお待ちくださいという仕儀になります。面倒なことです。
 不注意で器を倒して粗相をしたり,用具の寿命が来て壊れたり,買い物忘れをして足りなかったり,時間を間違えて遅れたり,暮らしの中にも不意の用事がたくさんあります。自分で後始末ができることならいいのですが,人様のお世話にならなければいけないことも出てきます。お互い様の用事が行き交うことになります。
 人間というのは神様の試作品だったのかもしれません。あまりに不完全な機能しか備わっていないからです。完全に制御できないことをお互いに補い合うということでしのぎながら,かろうじて暮らしてきたようです。そのことを暮らしの隠し味として楽しむことにしましょう。

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(2004年09月12日号:No.233)