《苦みある 言葉であれど 身に浸みる》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 健康診断はしたほうがいいということは分かっているのに,進んで受けたくはないという気持ちを表明する方がいます。若くなければどこか故障があって当たり前という思いがあり,検査すれば不具合を明らかにされるはずという恐怖心があります。そんな気持ちはよく分かります。悪いかもしれないという疑いの間はなんとなく余裕もありますが,結論が出てしまうと逃れようがありません。
 ところで,九月の最初の台風で二階の雨樋が一部壊れてしまいました。その修理をしなくてはならず,家の補修に目を向けざるを得なくなりました。延ばし延ばしにしてきた家屋の外壁補強もこの際にということで取りかかることにしました。その他にもあれやこれやと小さな補修の箇所が見つかって,結構な数の工事になってしまいました。念入りに調べると出てくるものです。一度に済ませた方が工程の重なりが省けるというメリットもあるので,思い切らされました。請け負ってくれた方が息子の親友なので,丁寧に相談に乗ってくれて,きめ細かいアドバイスもあり助かっています。
 自分の弱点や不具合には目を瞑りたいというのは,誰もが持っている気持ちの弱さです。小さなうちに向き合えば,その対処も簡単であるのは明らかです。それが分かっていながら,自分の弱さに向き合うのは案外と勇気の要ることです。自分では見ない振りをしていますが,見る人が見たら一目瞭然です。普段は人は他人の弱さを見つけても,気がつかない振りをしてくれる優しさを持っています。本当は,見逃すのはその人のためにはならないことであり,割引された優しさです。厳しい優しさを持って,早いうちに明らかにしてくれる人が,信頼の置ける人です。
 苦言を呈するには,それなりの工夫ややり方があります。信頼という基盤がなければ,嫌みや中傷,策略と受け取られてしまいます。交わされる言葉はほとんど同じですから,区別がつきません。極端な例を挙げれば,詐欺の手口も善意を装っているだけですが,善意と見間違えてしまいます。人との付き合いの範囲が広がってくると,信頼という基盤は相対的に脆くなってきます。しかしながら,最近の世情を見ると,夫婦や親子の間にも信頼関係の亀裂が現れているように思われるのは,どのように考えたらいいのでしょう。
 人が信頼できる関係を作ろうと努力をしなくなったからでしょう。信頼を裏切れば法的な罰則が及ぶという歯止めだけに頼って,信頼というものが簡単に手に入るという甘さがあります。日々の暮らしの中でコツコツと小さな善意を積み上げていく心掛けでしか,信頼は培うことができません。普段の人付き合いの中で自分が口にする言葉にもしも裏表があるなら,信頼関係はできていないと自覚したほうがよいでしょう。先ずは誠意のある言葉遣いから始まります。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2004年10月10日号:No.237)