《気兼ねなく 頼りにできる ひとであれ》

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 今年は雨の多さが印象に残りそうです。いろんな行事が雨天や台風のせいでほとんど中止になるか縮小されました。普通の日もからりと晴れた上天気がなく,雨模様ばかりです。いったん雨ばっかりという印象を持ってしまうと,連日の雨続きという風に考えてしまいます。つい晴れた日はほとんど無かったという言い方をしてしまいます。でも実際には,晴れた日もありました。
 連れ合いを送り迎えしているある日,退勤の時刻待ちの間,所在なく車中から目を遠くに向けました。青い背景に白い浮き雲,すっかり秋の空という感じです。どこが秋らしいのかと問われても困ります。おそらく秋を体感しているという入力によって,秋の記憶ファイルを呼び出して視野に重ねているのでしょう。そんな人の思惑などお構いなしに,高い雲は流れていき,低い雲は灰色によどんでいます。目前のシュロの緑が風景の一部を遮っています。風景のパノラマを追っていくと,雲の一部に光芒が輝いています。西に傾いた太陽が急ぎ足です。うっかり見つめると視力を失います。パネルの時計に目を移します。もうすぐです。
 痛みのある足を庇いながら玄関から出てくる連れ合いとの間合いを見計らいながら,エンジンを掛けドアのロックを外します。迎え入れたらいつもの帰路につきます。その短い車中で,連れ合いは一日のあれこれを話しかけてきます。曖昧な部分は突っ込みを入れながら,話のケリをつけていくうちに車庫前に到着です。家にはいると直ぐに夕食の準備にキッチンに向かう連れ合い,部屋の中を一日の終わりの体制に片づけながら,ちょっとした力のいる作業には呼びつけられています。連れ合いは指が痛むので力を込めることができないのです。
 滅多に泣き言を言わない連れ合いですが,あちこちに痛む部分を抱えると,素直に頼ってきます。ハイハイと腰も軽く応じています。ちょっとでも面倒そうな素振りを見せたら,連れ合いはきっと気兼ねをして無理にがんばってしまうでしょう。少しでも楽になれるようにしてやらねば,そのためには何の気兼ねも要らないというサインは欠かせません。特に意識をしているのではなく,自然にそうしてきた流れでしかありません。少しでも長持ちして貰わなければ困るとは,外向きの言い訳です。
 人は嫌なことが数度重なると,嫌なことばっかりと思ってしまうものです。夫婦の間でも,たまたま気持ちのすれ違いが重なると,すべてが灰色に塗り込められかねません。助けてくれたらいいのにと思っているときに,きっちりと応える気配りは小さくても大事なことです。後になって,それならそうと言えばよかったのに,言わないから分からないじゃないかというような場合,言える雰囲気ではなかったという背景が潜んでいます。信頼とは気兼ねなく頼れることです。

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(2004年10月24日号:No.239)